2010年06月10日

路面電車の日 〜在りし日の静岡〜


 路面電車サミットという、路面電車をもっている
地方自治体による集まりが開催されたのが、
1995年の6月10日であったということで、
路面電車の日だそうです。6=路、10=電、という
語呂合わせで、この日が開催日になったということだそうです。

 さて、このサミットが開催されるときには、
静岡市(旧静岡市、清水市等)には、参加する資格が
すでにありませんでした。
時代の流れのなかで、採算性の問題などから、
路面電車が消えていったわけですが、
そんな消えていった路面電車のひとつが、
静岡市と清水市に走っていました。
 新幹線の上を走る電車である静岡鉄道の路線が、
現在の新清水-新静岡間だけでなく、
新静岡から先にも伸びていて、
新清水から先にも伸びていた時代があったのでした。
その先の区間が、路面電車となっていました。
新静岡から先、浅間神社あたりまでの路面電車については
私も記憶にありません。記録でしっているだけです。
新清水から先、清水駅前の少し先まで、現在のエスパルス通りの
ところまでの区間に、路面電車が走っていたのは知っています。
実際に乗ったこともあったはずです。
幼稚園か小学校低学年の頃であったとおもいます。
 映画、三丁目の夕日のような雰囲気をもった
街並みが、そこにはあったようにおもいます。
路面電車が走る風景は、なにか不思議な情緒性が
あるような感じがします。
自動車やバスにはない魅力が、そこにはあるという感じでしょうか。
 清水での電車、もうひとつ消えてしまったものに
清水駅から、三保までのローカル路線がありました。
単線でしたが、これもまた魅力のある電車であったとおもいます。
朝夕に学生を乗せて走る電車のもつ暖かい雰囲気、
不採算路線が消えていくのは仕方がないとはいえ、
残念な感じがします。
 路面電車も、清水港線も、今、残っていたら、
素敵な観光資源として、また、観光スポットと駅を結ぶ
魅力ある電車として、地域活性化の担い手になっていたことでしょう。

 事業仕分けで、採算性だけで、切ってしまうことは
すべてが正しいとはいえないと思います。
それは、公共性と、地域の魅力を保ち、地域に潤いや元気をもたらすような
もののもつ、金銭としての採算には代えられない価値が
存在しているという事実があるからです。
その価値を踏まえて、多少の赤字は公的にみんなで支えることで
維持していくことの方が、地域のために大切であるということも
実際にあるということですね。
そこを含めた評価と判断が、必要なのが、公的な影響のあるものに
関する事業仕分けで欠かせない点であるといえるでしょう。
posted by 禁酒・禁煙・ベジタリアンのITコーディネータ 松原広幸 at 12:38| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 静岡・清水 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

時の記念日〜時間と人生の関係とは


 時を刻むといいます。
人が、時を意識するのは、この世に存在することに
なった瞬間からだといえるでしょう。
相対性理論によると時の流れは、条件によって変化します。
地球上でも、高さの違いで時の流れが違っていたりします。
 1920年に、時の記念日が制定されたとき、
6月10日が選ばれたのは、その日が旧暦で4月25日、
671年に、天智天皇が、漏刻をもとに、鐘や鼓で人々に時刻を
知らせるということを行ったと、日本書記に記述されて
いるからだそうです。
天智天皇を祀っている近江神宮では、「漏刻祭」が催される
そうです。
 時の図るというのは、日時計から、水時計、砂時計など
いろんな方法が行われて、やがて機械式の時計が登場して
くることになります。
日本では、西洋から入ってきた機械式の時計をもとに
江戸の時計を作り上げていたそうです。
日の出と日没とを基準にして、時を分けて刻むという
自然と調和した時刻をつかっていた日本人のために、
それにあわせた時計をつくってしまうという技術の高さは
昔から日本人のもつものであったということでしょう。
 時の流れは、子どものころは、とてもゆっくりと
感じられます。1日は長く、1年はすごく長く感じて
いたとおもいます。成長するにつれて、時の流れは早くなり
大人になると、1年もあっという間に過ぎていくと
感じてしまいます。体感する時の流れに差が生じるのは、
時というものがもつ、不思議な力なのかもしれません。
 日本人は、几帳面さや勤勉さ、真面目さといった
民族性からなのか、時刻を正確に守るのが、当たり前と
思っていますが、海外ではそうではなかったりします。
10時集合といえば、集まるのは11時というのが
常識の国もあったりするわけです。
遅れない電車やバスなどは、珍しいということも
あったりします。
 でも、正確であるべきものと、そうでもないものと
実際には、あるのだということですね。
それをきちんと見極めて、余裕をもってゆったりと
生きていくことが、長生きの秘訣なのかもしれません。
人の命に関わるようなことでなければ、
大雑把でかまわない、それが真理ということなのかも
しれませんね。
 機械的な労働を行うようになって、人は余裕と
優しさを失っていったのかもしれません。
 時の流れが、ゆったりとした社会こそが、実は、
幸せな社会なのかもしれません。
 時にたいする余裕をもっておくこと、
それがリスクを回避し、安全性を高めることで
あったりすることがあるような気がします。
posted by 禁酒・禁煙・ベジタリアンのITコーディネータ 松原広幸 at 12:27| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする