2015年04月28日

『アニメミライ2015 ANIMEMIRAI 2015』

『アニメミライ2015 ANIMEMIRAI 2015』
・JAniCAから、動画協会に受託先が変わった最初のアニメミライの4作品、どれも良い作品です。
2016についても動画協会が受託し、参加の公募が始まっていますね。期待しています。
また、作画技術の継承に関する成果の展開についても期待しています。

『アキの奏で』
株式会社J.C.STAFF
http://animemirai.jp/akino.html
監督:鈴木洋平
演出・コンテ:石田美由紀
作画監督・キャラデザイン:八重樫洋平
作画監督補佐:梶谷光春
若手原画:
佐藤嵩光、奥谷遥、小松沙奈、
前田ゆり子、中田久美子、泉しづか
中堅原画:
坂本哲也、森七奈
動画チェック:五十川綾子
美術監督:高野真希
色彩設計:小島由佳
撮影監督:間中秀典
プロデューサー:松倉友二
制作プロデューサー:藤代敦士

・地方の町の伝統文化の継承がテーマになっている作品。
和太鼓の魅力、諦めない気持ちの大切さ、変化と継承、現代社会の課題、地方創生に絡む作品としても魅力あるものになっていたと思います。

『ハッピーカムカム』
有限会社SynergySP
http://animemirai.jp/happy.html
原作・脚本:TARAKO
監督・絵コンテ・演出:須田裕美子
キャラクターデザイン・作画監督:荒牧園美
作画監督補佐:島崎知美
若手原画:
鈴木久美、針生愛里、大川美穂子、
中澤真琴、渡辺まゆみ、松本淑恵
中堅原画:
久保川美明、船塚純子、森亜紀子、萩原しょう子、
丹羽恭利、太田恵子、蔭山武彦
動画チェック:蔭山武彦
色彩設計:大野嘉代子
編集:小野寺桂子
制作プロデューサー:三浦俊一郎
演出補:羽鳥潤
制作進行:藤原和博
プロデューサー:早船健一郎、阿久澤洸太郎

・お世話ロボット、引きこもりの男のもとに、お試しでやって来たのは、メイド服姿のかあさんロボット、
イヤイヤながらのお試し生活だったのだか、やがて…。
ハートフルストーリー、親子の関係って、どんな感じかなっと思わせてくれるかもしれません。

『音楽少女』
株式会社スタジオディーン
http://animemirai.jp/ongakushoujo.html
監督:石倉賢一
キャラクターデザイン・作画監督:まじろ
キャラクター原案:QP:flapper
脚本:山田花名
若手原画:
杉田柊、高野菜央、伊藤幸、
小島絵美、太田衣美、峯友則
中堅原画:
新里りお、橘正紀
動画検査:坂本豊
プロップデザイン・作画監修:河南正昭
美術監督:平柳悟
色彩設計:桂木今里
撮影監督:米澤寿
3DCG:今垣佳奈
編集:松村正宏
プロデューサー:浦崎宣光
制作担当:中田善文
制作進行:野崎久美子

・学園、音楽ものは、最近の流行りでもあります。
二人の友情と、成長を暖かく描いた作品です。

『クミとチューリップ』
株式会社手塚プロダクション
http://animemirai.jp/kumi.html
総監督:手塚眞
監督:吉村文宏
キャラクターデザイン:杉野昭夫
作画監督:中村路之将
美術監督:河野次郎
作画監督補佐:瀬谷新二
若手原画:
三浦菜奈、山田桃子、小橋弘侑、
角谷知美、西村生美、小柏奈弓、小野玲奈
中堅原画:
杉野昭夫、瀬谷新二、中村路之将
動画チェック:吉村昌輝、岡村隆
プロデューサー:清水義裕、大石光明

・手塚治虫氏に捧ぐという感じの実験的な意欲作品、
声優を使わないで、音楽と絵だけで物語は進んでいきます。
人工物と自然の対比、自然の力と魅力、命とは何か、手塚ワールドらしさをもった作品になっていたと感じました。


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ニューヨーク白熱教室 at Eテレ

ニューヨーク白熱教室 at Eテレ
放送視聴

今回は、4回目。心と意識について、
過去三回のテーマと概要を紹介してましたが、皆、アンタルヤーミーなら知っている既知のことでしたね。

現代科学の解き明かした脳の話し、
特に何も目新しい内容もありませんでした、唯物進化論的な説明は、所詮はうわべな世界の話しですからね。チューリングマシンの話しから、脳はチューリングマシンで
はない学習するものだという説明、物理学から脳の内部を探るという話しに、これも脳のうわべの話しですからね。魂、JIT、オーラ、シャクティ、といった存在に至らな
い限りは、現代科学は限界があると言えるでしょう。工学的なアプローチは、全体のほんの一部でしかないことを知ると、何も驚くような内容が無いことに気がつきま
す。ロボット、サイバネティクスの話しに展開していきますが、まあこんなものでしょう。物質化、瞬間移動、石化などの現象を知ると、ニューヨーク白熱教室の話し
は、初歩的な叡智でしかないと感じてしまいます。
記憶の話し、記録は物理世界だけに残るわけではないので、もっと凄いことが、実は可能ではあったりするのですが、物質世界に囚われている限りは、難しいでしょう。
表層的な記録の操作は、この世の世界での話しでしかない。意識の録画の話しも、外部へ出て行く信号を拾っているだけの話しですからね。サバンの能力について、何故
こんなことが可能か、との問いも、特に驚くような内容でも無かったですね。
所詮は、天才といっても、脳の1割くらいしか使っていないわけですからね。脳を4割、5割、7割を使っていた人たちが、たくさんいたわけですからね。いわゆる現代科学
への依存と引き換えに人類は脳を使わなくなっていったわけですからね。
意識の定義を科学的、定量的に定義していましたが、意識というよりも、情報評価と言うべき内容でしたね。何かを理解出来ることが意識だと定義するのは、唯物的な定
義でしたね。人の意識がレベル3の理由は時間を理解出来るから、動物がレベル2なのは時間を把握できないから、このような定義だとレベルの低い意識は物質であれば持
つと言えることになる。どのような定義をするのか、その違いは、理解の可否を生み出すことがはっきりしてますからね。同じ定義を共有していないと、議論が交わるこ
とが出来なくなりますから、実際には定義の共有はとても重要なことだと言えますが、その点についてはふれられませんでしたね。
話しは、ブレインネットへ。意識の伝達の可能性について触れて番組は終了。普通な話しでした。




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posted by 禁酒・禁煙・ベジタリアンのITコーディネータ 松原広幸 at 04:42| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

映画鑑賞メモ

『名探偵コナン 業火の向日葵(ごうかのひまわり)』
・いつも、エンターテイメントとしても楽しく拝見させてもらっていますが、今回も、アクションミステリーとして、楽しく拝見させていただきました。
怪盗キッドとの対決編は、ゴッホのひまわりを中心に展開していきます。
今回は、定番のツールで活躍しないものがあるとか、あまり警視庁組には活躍の場がないとか、ありますが、メインがキッド対コナンですからね。
さて、次回は20作品目、白の次は黒、サスペンスミステリー調になりそうな気配もありますね。

『ソロモンの偽証 前篇・事件』
・非常に良くまとまっていて、最後まで観切らせていただきました。
岡田斗司夫氏の評価が高かったので、どうしようかなと思っていたのですが、観て良かったです。

『ソロモンの偽証 後篇・裁判』
・後編は、泣けるところ三カ所はあると聞いていますたが、なるほど納得ですね。
生徒が自分たちで、進めていく裁判、流れは前編の振りからわかっているものの上手く展開していきます。
証言台に立つ人とのやり取りの中で、感動させる展開を持ち込むのは、法廷物のセオリー通りですが、良いですね。
最後の締めも、以外とさらっと流してという感じで余韻をもたせてました。
しかし、自分の中学生時代を思い出してしまいましたね。
裁判はしなかったですが、放課後のクラス討議とかありましたし、生徒会の議会討議や、専門委員会の討議とか、似た雰囲気があったりしたものでした。

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) Birdman or (The Unexpected Virtue of Ignorance) 』
・アカデミー賞受賞作品だなと思いました。長回し演出は見事でしたね。
映画界と演劇界の関係、ハリウッドとブロードウェイ、東海岸と西海岸、
この構図を描いたものでもあるところなどは、アカデミー会員のこころをくすぐる部分なのかも…。
現実と虚構の関係も含んだ物語は、ラストの思わせぶりなシーンで締められていますね。

『ドラゴンボールZ 復活の「F」 DRAGON BALL Z FUKKATSU NO F 』
・新宿の愛MAXシアター(^^;;で、鑑賞しました。ドラゴンボールは、やはり、ドラゴンボールでしたね。
映画の前作からの流れで展開する新しい物語、楽しく観れる作品です。

『クレヨンしんちゃん オラの引越し物語』
・遂に、しんちゃん、海外へ。
メキシコ転勤しても、何ら変わらないしんちゃんファミリーは、素敵ですね。
助けあい、思いやり、支え合う、家族の良さを、描いた作品でもあったりします。

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posted by 禁酒・禁煙・ベジタリアンのITコーディネータ 松原広幸 at 04:42| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | アニメ・マンガ・小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

仏教について考えてみる

仏教について、どの様な宗教なのかといえば、
なかなか一言では言いきれないほど拡散拡大しているのが
現実であると言えるでしょう。
狭義の意味では、お釈迦様の教えだと言えるわけですが、
この部分を深く学ぶのは出家する以外には難しいと言えます。
また、日本には深い部分は伝承しておらず、
タイなどの高僧に弟子入りして学ぶか、そのレベルの方に教えを請うしかありません。

メルマガ「仏教に学ぶ生きる意味 by 中村僚(長南瑞生)氏」の中で
ある質問に対するひとつの答えを提示されていました。
その質問とは、
「仏教にはたくさんのお経や宗派があるけど、
 結局、お釈迦さまの説かれた本当の仏教というのは何なの?」
です。
すなわち、お釈迦様の教えとは何かということです。
今、広く一般に広まっている仏教は、お釈迦様の弟子たちの教えです。
弟子も、玄孫弟子よりも後の皆さんのものが大半であると言えるでしょう。
先のメルマガの中では、現代日本仏教を2つに大別されていました。
「西洋系の研究(近代仏教学)」と
「東洋系の研究(伝統教学)」です。
しかし、そのどちらも、学問のレベルでしかなく本質を伝えられていないということです。
奈良仏教、鎌倉仏教の時代の高僧の残された経典からの教えの中で、
お釈迦様の教えに触れることが出来るとされていました。
しかし、実は、それも、本当の意味ではお釈迦様の教えではなかったりします。
お釈迦様の教えでなければ、仏教ではないのかといえば、
そうではありません。
そもそも、お釈迦様は仏教徒ではありません。
ジャイナに学んだヒンドューであるわけですから。
日本への仏教伝来は、
まず、ヒンドューと混じり合い大衆向けに上澄みをとった
大乗仏教という流れのなかで存在しているものです。
大乗仏教そのものが、本来の深いお釈迦様の教えが難しくて
多くの大衆に理解できないということから、
お釈迦様の弟子たちの一派により、やさしく説きなおされて
変化したものをベースにしているのですから、
その時点で、お釈迦様の教えそのものではなくなっているのです。
それでも、そのルーツはお釈迦様の教えですから、
お釈迦様の教えだとも言えることは間違いはありません。
中国に流れたときに、まずマントラ類については、
表音文字から表意文字への写されていったなかで、
もともとの意味ではない、表意文字の意味を解釈するという
教えの変化が発生してしまいました。
代表的なものに、般若心経がありますね。
もちろん、天竺にまで言って、直接学び、その学びを伝えている内容もあります。
しかし、中国では、儒教や道教などの教えと混ざり合う部分もあったりして
大乗仏教は更に変化していきます。
その状態で、中国から、日本に伝来してきたのが
日本の仏教のルーツとなっているわけです。
日本の仏教は、お釈迦様の教えそのものからは、かなり世代の経た、
弟子の考えや儒教や道教などの中国の宗教の影響などを含んだものと
なってしまっているわけです。
もちろん、お釈迦様の教えがルーツであることは確かなことですが
狭義の意味では、お釈迦様の教えそのものとは言い難いものとなっているのも事実であると言えるでしょう。
しかし、そうだからといって、その教えの価値は、衰えるものではありません。
少なくとも、お釈迦様を尊敬し敬愛するという教えであるという点において、
素晴らしいものであるということは、間違いなく、
それは、とても価値のあることですから。
メルマガのなかで、日本化したお釈迦様の教えについて
詳しくまとめられたサイトが紹介されていました。

お釈迦さまはどう教えておられるの?
http://xn--vuqrjl75e.com/40zoma.html
インドの龍樹菩薩は?
http://xn--vuqrjl75e.com/24shokangiji.html
中国の道綽禅師は?
http://xn--vuqrjl75e.com/38doshaku.html

日本伝来仏教の教えを学ぶことは、
学ばないより、人生において、
それだけでも価値あることだと言えるでしょう。

お釈迦様の教えという視点では、初心者向けな内容ということになるでしょう。
大乗仏教そのものが、初心者向けの教えであるのですから仕方ないとは言えます。
私も、もしお釈迦様の教えの学校があったら幼稚園児のレベルでしかありませんから。
日本の高僧の皆さんも、小学校といったところなのかもしれません。
テワダーとなった方がいらっしゃるということは聞いてませんし。
大乗仏教のルーツが、そのレベルですから、それ以上に至ることは難しいということになります。
大乗仏教のように大衆へ教えを広めるのではなく、
出家修行僧というレベル以上を対象に伝えていく方向であったのが
上座仏教という流れとなります。
当然、学びは、より深いものとなるわけです。
主に南東アジアへ伝承されていて、今日に至っています。
お釈迦様の生涯についての伝承についても、
大乗仏教では、かなり略され、しかも、中国経由するなかで変遷し、
日本に伝わり、日本でも歴史の流れのなかで変遷していっています。
手塚治虫先生のブッタの話も、お釈迦様以外の方の逸話が混じっていたりする
変遷した結果のお話がベースとなっているので、大筋においては間違いなくとも
本質的なところでは、違っていたりするということになってます。
上座仏教圏の方が、変遷をあまりせずに伝えられているのは確かなことです。
非常によく、まとまっているものとして、
以下のアニメーションがあります。
http://youtu.be/iE8PBr8coUQ
それでも、若干の誤りがあるということです。
お釈迦様の本当に深い部分の教えは、弟子から弟子へと直接に伝えられているものでしかなく、
それを学ぶ資格のあるものしか触れることの出来ないものであるといえるでしょう。
それは、多くの聖者の教えにも同じことが言えます。
直接の系譜の学びをされた方から学ぶことが出来ても、
それを理解できるか否かは別の次元の問題であるからです。
伝聞を重ねていくと、体感は失われていきます。
文字の伝承には、限界があるということなのです。
口伝と体感による伝承がなければ、本当の意味での深い部分の伝承はあり得ないということです。
これは、宗教という世界だけでなく、匠といわれる世界においても同様ですね。
本当に学ぶということは、体感することが必要であるということです。
ゆえに、お釈迦様の教えを、その神髄を知るには出家するしかありません。
私のように、その叡智を文章や言葉で学ぶだけでは、その神髄を知ることは出来ないのです。
ただし、神髄を知り得なくとも、神髄がどんなものなのかを、
おぼろげながらも知的に捉えることは、その神髄を知る人から直接学ぶことで可能であるのかなと感じています。
しかし、その様な出会いに恵まれるか否かは、
人生の運命次第ということになるのかもしれません。
輪廻転生の輪のなかで、魂の成長を紡ぐ流れのなかにあって
どれだけ、戒を守り、律に従う生活を送ることが出来たのか、
その差はカルマの差ともなり、魂成長の差ともなるということです。

学ぶにあたり、もっとも重要なことは謙虚になること。
自分の方が優れているという気持ちをもったら、
それは傲慢につながるということなのです。
霊性が高まれば高まるほど、謙虚で落ち着きある人へと成っていく
それが、悟りへのステップでもあるということですね。
私も、まだまだ、幼い魂であるなと、感じています。
残りの人生を、如何に生きていくのか、
よく学び、よく考えて、歩むことが大切なのだと感じます。
posted by 禁酒・禁煙・ベジタリアンのITコーディネータ 松原広幸 at 04:27| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 科学・文明・学術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする