2016年06月05日

私と宗教の関係を振り返る

私と宗教の関係を振り返る

 カルマなのか、なぜか今世においては、
宗教と関わり合いになる機会が多いように思います。
それは、生まれたときに未熟児で自分で呼吸をできず
医者から祖母が、もしかしたら覚悟しておいて下さいと
言われたという話を聞いたこともある人生の出だしから
運命付けられていたのかもしれません。
名付けにあたっては、父が神社にお願いして、
神主様に考えていただいた名前の候補の中から選んだそうです。
朱印のある命名書があったりしました。
日本の伝統的な慣習に従って、
七五三のお祝いもしっかりとしてもらってましたし
端午の節句のお祝いもしっかりしてもらってました。
お盆にはお墓参り、正月には初詣、欠かさない家庭でした。
そして、なぜか、幼稚園に入園することになり
星美学園付属幼稚園というキリスト教系の学校に
通うことになって、イエス様とマリア様に出会ったのでした。
朝の登園時、退園時には必ず園の門の側のマリア様の像に挨拶をして
月に一度は礼拝堂での礼拝に参加していました。
「父と子と聖霊のみ名のもとにアーメン」
この言葉を十字を切りながら毎日何度となく唱えていました。
イエス様とマリア様のお話しを聞き、
聖歌を歌うといったことが、日常の中にあったのです。
バザーや聖母行列、クリスマスといった行事や
学芸会でのイエス様御生誕の劇など、
今も記憶に残っています。
良いことをすると、シールを貼っていく手帳などもありました。
 サンタクロースの存在を信じ、天使の存在を信じ、
イエス様とマリア様に感謝のお祈りを捧げていた日々。
3年間の幼き信仰生活であったと思います。
公立の小学校に入っても、イエス様やマリア様の像に
お祈りしていました。
また、なぜが英会話教室の先生がクリスチャンで
あったりして、中学校に入ってからは、
プロテスタントの教会の英語塾に通っていたりします。
聖日礼拝に参列させていただいたこともありました。
 小学校高学年の頃にはコックリさんが社会問題になったり
学校の怪談話が流行ったり、心霊現象に関心を持つことが
多かったりしました。
超能力、エクトプラズム、心霊手術といったものに
興味をもって、本をいろいと読んだりしたものです。
エクソシスト、ノストラダムスの大予言、UFO、
ピラミッドパワー、魔術、占い、SF、妖怪、などなど
科学的に解明できるはずという想いを持ちながら
四次元図鑑や超常現象辞典などを読んだりしていたわけです。
そして、死を身近に感じたのは、まだ赤ちゃんであった従妹が
亡くなったとき、祖父が亡くなられたときだったと思います。
祖父が亡くなったとき、孫のひとりとして棺を運ぶのを
手伝うことになり、骨壺に骨を納めるお手伝いをしました。
少し不思議な夢にうなされる体験などをしたのもその頃でした。
小学校の卒業文集の夢にアインシュタインの様な科学者という様な
記述をしていたのは、科学で未知なる現象を解明したいという
想いがあったからだとも言えるでしょう。
中学では郷土研究部に所属して、市内の寺社仏閣や史跡伝承などを
調べたりもしていました。
羽衣伝説、牛石伝承、女体の森、草なぎの剣伝説、・・・
いろんな言伝えやお話が伝わっているものですが、
意外と知らないことが多いのだなということも感じました。
中学、高校とも、修学旅行は、奈良京都でしたので、
仏教に触れる機会も多くありました。
天理教や立正佼成会、創価学会などの冊子が何故か自宅にあり
読んだりすることもあったりしました。
中学高校時代は読書好きで、聖書はもちろんですが、
仏教やキリスト教関連の本やスピリチュアル系の本も
良く読ませてもらっていました。
 大学時代は、キリスト教系の宗教にどっぷり浸かっていた時期もあり、
真光や幸福の科学などの会に参加してみたりすることもあったりしました。
社会人になってからは、仕事に浸かっていた時間が
殆どになってしまってはいましたが、
神や超常現象、スピリチュアル関連への興味は変わりなかった感じです。
その後、仕事浸けの過負荷からか身体をこわすことになって
人生の流れが変わることになります。
ITC資格取得してそれまでとは異なる視点や人との関わりのなかで
ビジネスや社会を観ることが出来るようになり、
生活習慣病指導士などの勉強のなかで、カウンセリングや医療の分野に
触れることになったりもしました。
市民活動への関心から、一新塾へと入塾して、
そこでの出会いから、また大きな変化があったという感じです。
禁酒、ベジタリアンになり、
フィリピンの心霊治療を体験したり、
タイのスピリチュアルな事象を見聞したり
ルンビニやカイラーサへと巡礼したり、
神の叡智に触れ、信仰と宗教について、新しい視野が開けることを
実感させられることになったわけです。
超宗教という言葉がありますが、
神の叡智を知れば、その言葉は、所詮は人の視点で考えるレベルのことでしかないことがわかります。
神の世界では、当たり前であることも、人の世界では特別なことになってしまうということなのです。
現代科学が、まさに砂漠の中の小さじの一杯の砂にも及ばないものであることを実感させられます。
神道を尊び、天皇陛下を敬愛する日本人であり、
お釈迦様を尊する仏教徒であり、
イエス様を愛するクリスチャンであり、
ヒンドゥーの神々を拝するヒンドュー教徒、ジャイナ教徒であることは
何の矛盾もなく、当たり前のことであるという認識と意識が
私の中に根をおろしてします。
そして、それらは何ら矛盾するものではありません。
現代科学や現代医学の位置付けにしても
ヒーリングや超常現象にしても、
この世において、実際に存在している現象は、現象として認めるべきであり
それらの現象は、視点を変えてみれば、矛盾するものでもなく
神の叡智の中に包括されるものでしかないということなのです。

先だって、天の扉開きツアーに参加することが出来ました。
http://www.amanotobira.com/
神の世界と現世が繋がり、神の世界から流れ出るエネルギーが
ある神聖なる存在の介在により、
物質を生みだすという現象です。
何もない空間から、物質が出現してくるのです。
それは、トリックでもなければマジックでもない
事実として存在している現象であることは、
立ち会えばはっきりと認識することが出来ます。
ニュートンは、林檎の実が何故落下するのかということから
万有引力の法則を導き出したと伝えられます。
ガリレオは、天体の動きを精密に観測し続けた結果としての
データから、地動説ことが正しい姿だと知りました。
科学というものは、存在している現象を認めることから
始まっているのだと言えるでしょう。
であるなら、この物質が出現するという現象を認めることから
どんな法則が導きだされるのか、科学者に問われていると
いえるのかもしれません。
事実として存在している現象が、現状の法則に合わないから
見て見ぬふりをする。その姿勢は、ニュートンやガリレオを批判し、
アインシュタインを批判した愚かな科学者と同じであると言えるでしょう。
事実と正面から向きあうことが科学者のあるべき姿であると
いうことなのだと思います。
ぜひ、体験すること、自分の目で確認することをお勧めします。
そこから何を感じ、何を得るのかは、それぞれの皆さんの
責任分担となるのですけれど、
知れずしては何も始まらないことは真理であり事実ですから。
ちなみに、現代科学では説明できない事象も、
神の叡智で説明することは可能です。

多くの宗教と出会い、信仰を知り、人生を歩んできましたが
残された今世の人生を、どう歩んでいくのか、
常に、問われているのだなっと感じる次第です。
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posted by 禁酒・禁煙・ベジタリアンのITコーディネータ 松原広幸 at 22:49| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム:神の叡智から学ぶ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする