2018年03月10日

日々の中で想うこと・・・・

“God has no religion.” ― Mahatma Gandhi
ジャイナに学び、ヒンドゥーとして
ベジタリアンであったガンジー
アヒンサーの教えを自らの行動で示した人でも
ありました。

宗教とは、人が人のためにつくったものです。
神がもっていないのは当たり前のことでしかありません。
人は弱く、幼く、不安定な存在であり
心も弱いものです。
ひとりでは耐えられないことも多いなかで、
互いに助け合っていくことが大切になっていきます。
そんな中で、信仰の絆で結ばれたものたちが
集まったのが宗教であるというだけのことなわけです。
いってみれば、信仰の互助会のようなものといえるでしょう。
宗教が無くても、困ることはありませんが、
信仰が無いのは、人生を不幸にするだけです。
そして、神の叡智が学べないというのは大問題です。
宗教は、教えを伝えるという場でもあるからです。
原題のように学校制度が確立されていない時代において
教育の場を提供していたのは宗教でした。
著名な科学者の多くが宗教者であったのは周知の事実です。

私は、神社で姓名判断により名を頂き
キリスト教系の幼稚園に通って
イエス様やマリア様にお祈りを捧げながら育ち
お盆には菩提寺にお参りをして
七五三参り、七夕、端午の節句の祝い、初詣と
日本の神仏伝統慣習を行ってきました。
イスラム教、真光、創価学会、天理教、立正佼成会、
幸福の科学、統一教会、モルモン教会など
その教えの場を訪ねたこともあります。

ヒンドゥーのスワミと出会い
禁酒、ベジタリアンの生活を基本とするようになり
聖地であるカイラス山のプラダクシャナーを行い
マルサルワール湖やテルタンプリを巡礼し、
お釈迦様の生誕地も巡礼させて頂きました。

ヒンドューであり
ブッディストであり
クリスチャンでもある
それが今の私であるといえるでしょう。

超宗教というのは、実は当然のあるべき姿でしか
なかったりするのです。
ところが、本来のあるべき姿を、
忘れてしまって、迷いの中にあるのが
今の世界の状況なわけです。

神の世界、あの世の世界は、
その人のあり方によって、見え方や感じ方が異なります。
魂の感じるものは、その魂の成長のレベルによって
変化しているからです。
また、その魂の経験によっても変わるからです。

自らの魂の中にあるものが、
見えるものに投影される世界、
隠すことなど出来ない、本質が顕にされてしまう世界、
それが、いわゆるあの世といわれる世界なわけです。
この世は、非常に限定された制限のある世界であり、
それがゆえに修行の場として存在しているのであると
いえるのでしょう。

この世においても、霊性の高い人は、
本来の魂のもっている力を顕現させることができます。
凡人には見えないものが見えたりするのは良い例ですね。
また奇跡と呼ばれたりする現象も同様です。
本質的には、別に奇跡ではないわけですが、
縛られた人にとってはあり得ないと思うことであるがゆえに
奇跡と称されることになるわけです。

この世界は、目にみえるもの五感で感じられるもの
それだけではないということです。
現代科学は、残念ながら、それだけだという前提で
産業革命以後は発展してきました。
しかし、それでは当然真理には辿り着けません。
目に見えないもの、五感で感じられないもの
その存在を肯定し、前向きにとらえることで
研究の場にもってくることが必要とされていると
いえるでしょう。

宗教と科学の限界は、人が垣根を作ることで
生まれてきたものであるといえるでしょう。
垣根を越えて、その先に踏み出すことによって
新たな世界が見えてくることになるでしょう。
posted by 禁酒・禁煙・ベジタリアンのITコーディネータ 松原広幸 at 18:35| 静岡 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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