2018年06月01日

五戒について

五戒について

お釈迦様の深い教えは、日本には残念ながら
伝わってきていないものの
お釈迦様の教えの基本となるものは
大乗仏教として中国経由で日本にも
伝わっているものはあります。
その基本中の基本が、
「在家の五戒」
の教えです。

これは、在家とあるように
出家したお坊さんはもちろんのこと
檀家の皆さん、信者の皆さんも守るべきものとして
伝えられているものであるわけです。
仏教の基礎中の基礎といえるかもしれません。

その五つの基本であっても、
しっかりと守ることができる人が少ない社会に
平安があるわけもないのかもしれません。
また、守れないということは、
カルマを積むということでもあったりします。
地獄の深い方に逝きやすくなってしまうと
いうことになるわけです。
カルマを多く積んでしまうと、
死後、地獄でも深い地獄にいかなければ
ならなくなってしまいます。
そうならないためにも、
五戒は守って生きていくのが善いでしょう。

不殺生戒(ふせっしょうかい)
- 生き物を殺してはいけない。
殺すことに関与してはいけない。

不偸盗戒(ふちゅうとうかい)
- 他人のものを盗んではいけない。
盗みに関与してはいけない。

不邪淫戒(ふじゃいんかい)
- 不道徳な性行為を行ってはならない。
邪な想いを抱いてはいけない。

不妄語戒(ふもうごかい)
- 嘘をついてはいけない。

不飲酒戒(ふおんじゅかい)
- 酒を飲んではいけない。

善き人として、守るべき基本が、
この教えには含まれていると言えるでしょう。
お釈迦様が御生れになる10万年前に
神様からお釈迦様の降臨が告げられたとき
お釈迦様の傍で学ぶことが出来る者の
条件として、五戒を守って生きたものであることが
告げられていました。
この世で五戒を守って生きることは、
正道であり、霊性修行の王道であると
いえるでしょう。
お釈迦様の教えが広がって欲しくない存在は
五戒が守れないように誘惑してきます。
いろいろと守れない言い訳を教授してくるのです。
守らなくても大丈夫な理由をつくりだすように
誘導してきます。
嘘は言わずに、でも嘘を思い起こさせるように、
惑わしてくるわけです。
五戒が守れないときの言い訳の全てが
まさに、そのような誘導から生まれた理屈であり
真理から離れたものであるわけです。
聖者と呼ばれるようなレベルの方々は、
普通に生活していて、五戒を守っているレベルと
なっています。
自然に身についているということです。

日本にいると、なかなか守れないものは、
不飲酒戒と
不殺生戒といえるでしょう。
日本は、それほど次元の高くないスピリチュアル的な存在や
エンティティといった存在などと交流してきたため
お酒好きなエンティティにお酒を捧げたりしてきました。
海のある国ということで魚を殺すことも多いです。
また、明治維新後は西洋化の流れのなかで
肉を食べることも多くなってしまいました。
殺処理された死体を食べるのは殺す原因となっていると
いうことなのです。
この3つの戒を守れないためにカルマを積んでいます。
日本に生まれたこと、
五戒を守れないような環境に生まれたことも
過去世におけるカルマのためだといえます。
したがって、カルマ解消のためには、
努力と苦労が必要となるのは仕方のないことです。
出来なければ、カルマを増やして来世で苦労するだけです。

日本仏教が、お釈迦様の教えが伝わっていないと
いわれてしまうのは、出家していない人でも
守るべきだとお釈迦様が教えてくださっている
五戒すらも守れていないことが理由であるともいえるでしょう。

生活習慣としての基本、
禁酒、ベジタリアンは、当然のこととして、
他人のものを盗まないのも当然であり、
不純な性行為についても当然であり、
嘘をつかないのも当然ではあります。
私も、なんとか守っているかなと
いったところでしょうか。
でも、人生の歩みとしては
まだまだ足りないところばかりです。

ひとりでも多くの人が、
お釈迦様の教えに耳を傾けて
人生をより深く豊かなものにしていけるように
できることを願ってやみません。

今世における霊性修行において、
五戒を守ることは初級以前のレベルといわれます。
五戒を守って、その先に進むのであれば
より善き来世があるでしょう。
では、何を為すのがよいのか、
それについてもお釈迦様は教えてくださっています。
それを学ぶかどうかも、また、
ひとりひとり、自分自身で決めていくことなのです。
posted by 禁酒・禁煙・ベジタリアンのITコーディネータ 松原広幸 at 23:51| 静岡 ☀| Comment(0) | コラム:神の叡智から学ぶ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

禁忌について

禁忌について

禁忌、タブーという言葉に対するイメージは
現在の日本社会においては、都市伝説と同じようなレベルに
陥ってしまっているような感じがします。
正しく理解できていない方が大半ではないのでしょうか。
それは、人々が信仰心や畏敬の念を
持つことがなくなってきていることでもあるのでしょう。
それは、社会として悪い方向に向かう予兆であり、
不幸がより多くなっていく流れでもあります。
また、利己主義、個人主義の比重が高くなって
相手を思いやったり、利他の心で接したりすることが
出来なくなってきているということでもあるでしょう。
その結果は、霊性修行どころか、地獄への道と
なってしまっていることでもあります。

ネットで、禁忌について、和のこころを踏まえた上で
書かれていた方がいらっしゃいました。
とても良いことだなっと感じました。

日本のタブー(禁忌)
https://wajikan.com/note/taboo/
女人禁制と女の穢れの関係
https://wajikan.com/note/nyoninkinsei/

しかし、その内容については、
それなりの解説ではあるのだけれど
本当に大事な部分の説明がないのが残念でした。
この様な情報をネットに公開するような方でさえ、
深い叡智について学ぶことが出来ていないのが
日本の現状であるのだなっと感じたのでした。

この解説のなかでは、
禁忌については、3つのパターンがあると説明されていました。
大雑把に言えば、
1.不作法となるもの
2.損になるものという日常の生活上の知恵
3.精霊崇拝と神道的信仰からくるもの
となります。
1と2は、儒教的な礼節や慣習、日本の礼儀作法に関連する知恵、
生活の知恵といったものが、忘れてはならないこととして
禁忌として伝えられているというものとされています。
3については、あまり内容について触れられていませんでした。
女人禁制の方で、仏教伝来と広がりの中での
日本古来からの女性リーダー中心から男性中心への変化の歴史と
あわせた形での説明の中で少し関連することに
触れられてはいましたが、信仰心という視点と
スピリチュアル的な存在についての視点からの説明は
ほどんどありませんでした。
また、仏教についても、日本に伝来してきた仏教が
本来のお釈迦様の教えとは異なる部分が多い
ヒンドゥー的な部分が中心となった大衆向けに
変遷した大乗仏教であり、しかも中国文化のフィルタを
通って更に変化したものが伝わっているということ
そのために、大事な部分で欠落しているところが
多くあることを知っていたら、説明が変わるだろうなと
感じるような内容でした。
そして、残念なのが、女人禁制について伝統という言葉を
つかって括ってしまっているところです。
女人禁制や入山禁制、神官以外立ち入り禁止などの
禁忌は、伝統ではありません。
長い間継承されてきたから、伝統として見えるだけです。
その部分を勘違いされている方が非常に多いのが
残念でなりません。
本当の禁忌は、神事であり、スピリチュアル的なものです。
そして、人を守るためのものです。
人を守る知恵であるといえるでしょう。
大相撲の土俵が女人禁制なのは、
土俵が神事によってスピリチュアル的に特別な空間と
なっているために、女性が立ち入ると
そのスピリチュアル的存在によって、
その女性に悪いこと(日本的には神罰ともいう)が
起こることがあるために、
女性は入らない方が良いということを知恵として
もっているということなのです。
したがって、伝統とは無関係です。
神事をおこなっていない土俵であれば
女性が入ってもまったく問題はありません。
当然、禁忌の中には男禁制ということもあります。
また一般人禁制ということもあります。
それぞれに、そのエリアにおける目に見えない存在に
対する無礼とならないように、
怒りをかって、悲惨なことにならないように
人を守るために示されている知恵なのです。
すなわち、リスクヘッジであり安全対策ということです。
禁忌は伝統ではなく、まさにリスク安全対策の知恵だと
いえるでしょう。
実際、禁忌を破って、最悪のケースで
神隠しと呼ばれるようにこの世界から消えてしまったり
事故や病気などで死んでしまうこともあります。

唯物的な考え方しか出来ないみなさんは、
迷信という言葉を使って否定するのでしょう。
しかし、それは利己的な欲望のための方便でしかありません。
もしかしたら、悪魔やバッドスピリッツに
コントロールされて、そう思わされているのかもしれません。

日本民族は、古来から自然と深く関わってきました。
その中で、自然の声を聞き、
自然の中のスピリチュアル的な存在の声を聞き、
それを知恵としてきたわけです。
それは、とても貴重で価値の有る知恵です。
禁忌は、まさに、そんな知恵のひとつです。
祖先から受け継がれている大切な知恵を
忘れていくことは、大きな損失であり、
とても不幸なことであるといえるでしょう。
禁忌について考えるとき、
それを、どのように考えるのか、
それは、みなさん、一人ひとりが、
自分自身で考えるべきことであり、
誰からも強制されることのないことです。
ただ、
そのアプローチの仕方で、
人生は変わっていくことでしょう。
posted by 禁酒・禁煙・ベジタリアンのITコーディネータ 松原広幸 at 23:50| 静岡 ☀| Comment(0) | コラム:神の叡智から学ぶ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本人の信仰と宗教について

日本人の信仰と宗教について

 日本の仏教は、まさに日本仏教といってよい
特殊な変遷を経たものとなっています。
先だって、NHK番組の歴史秘話ヒストリアにて

奥深いニッポンの信仰心
http://www.nhk.or.jp/osaka-blog/historia/298556.html

という内容の放送がありました。
神仏習合の“封印”を解き明かしたと題するものでしたが
番組内容はあまり信仰心のあるとは思えないものでした。
神事に対する扱いを、もっと信仰心をもって
畏敬を忘れないで番組作りをして欲しいなと感じました。
おそらく、製作者、制作者ともに信仰心が薄いのでしょう。
非常に残念なことだなっと感じました。
日本の信仰の基本は、神道にあるわけですが、
その源流は、自然崇拝からきているわけです。
シャーマニズム的なものであったといえるでしょう。
女神も多く、司祭も女性が多かったのは、
日本に住むスピリチュアル的な存在の嗜好によるもので
あったのかもしれません。
日本における神は、スピリチュアル的な存在全てを
さすものであったわけです。
エンティティや妖精や妖怪といったものまで含め
目に見えない存在や、強い力をもった存在は、
すべて神として畏敬をもって対していたのが
日本人の信仰であったといえるでしょう。
八百万の神とは、まさに日本人の信仰感の基本と
なっているということです。
大陸から大乗仏教が伝わってきたとき
仏もまた目に見えない存在であったので、
何の違和感もなく、八百万の神の中に
受け入れることが出来たはずです。
番組では、政治や宗教によって、取り込みが
行われたという部分をフォーカスしていましたが
日本に大陸から伝わってきた教えとしては、
主流は中国の教えと中国経由での教えであったわけです。
儒教と大乗仏教が、大きなものであったといえるでしょう。
共に、日本の社会にとって、違和感のあるものでは
なかったといえると思います。
大和朝廷は、この教えを統治に使うことで
人心を掌握し人々と導いていくことが出来ると考え
取り入れていったことになります。
よりわかりやすく民に伝えるために、
番組で紹介されていたように、仏を八百万の神に
取り入れていったということです。
大乗仏教で伝わっている仏の多くは、
ヒンドゥーの神々であったりするので、
ヒンドューの神々の化身としてお祭りされている
仏様や神様も数多く存在しています。
番組の中で、神と仏の違いについての下りが
ありましたが、あまり意味のないものでした。
実際、本当に深いレベルでは、違いはないのですから。
表面的な違いは、信仰とは関係のない宗教的部分に
よりものであったりするので、気にすることは
あまりありません。
どの様な神でも仏でも、目に見えぬ存在に対して
畏敬の念を忘れることなく対することが
大切であるということなのですから。
日本には、お釈迦様の教えはほとんど伝わっていません。
大乗仏教が、大衆向けにインドでの教えの初心者向けの部分を
整理したものであるために、多くの内容が
ヒンドゥーの内容であったりしています。
また、原典のサンスクリット語の音を漢字にあてて写したため
漢字を表音文字として使ったことで、
その内容を漢字を表意文字として読み取ってしまって
まったく異なった内容として学ぶようになってしまったものが
数多く存在しているために、本来の意味が伝わっていないものが
多くなってしまっています。
その代表的なものが般若心経であったりします。
本来は音をサンスクリット語として訳すべきなのですが
多くが、漢字をそのまま訳しています。
もちろん、音あてした人が、本来の意味に近い漢字を
選んでいるので、それなりの意味にはなるのですが、
正しい意味にはなりえません。
ただ、その解釈は、お釈迦様の教えではないとしても、
その後の高僧の教えではあるので当然尊いものです。
日本に大乗仏教が伝来した当時は、大乗仏教として
しっかりとした内容のものであったのですが、
日本仏教は、だんだん本来の姿を失っていきます。
それは、神仏習合によるものということではないと
私は思っています。
一つ目の劣化点は、江戸の寺社奉行制度導入によるものであり
二つ目の劣化点は、明治維新の廃仏毀釈、西洋化政策によるものであり
三つ目の劣化点は、戦後の唯物個人主義教育によるものだと
思っているからです。
この変化は、そのまま日本の霊的レベルの低下にも関わっています。
NHKの番組では、神仏習合と神仏分離(廃仏毀釈)を扱っていました。
ただし、その視点は西洋学術的な俯瞰でしかなく、
本質に迫るようなレベルのものではなかったといえるでしょう。
しかし、それは番組の性質上、そうなったのだと思いますので
仕方のないところです。
日本人は、昔から受け継がれてきた大事なものを
形式だけを受け取って、その背後にある深い意味について
目を向けることをやめるようになってしまっています。
それは唯物個人主義教育の影響抜きではあり得なかったでしょう。
お祭りや年中行事には、神仏的な意味が背景にあるものです。
その部分の深い知恵に、もっと目を向けていく必要があるでしょう。
そうしないと、形式だけの継承はやがて廃れていってしまい
消えていってしまうことでしょう。
神道的な意味、大乗仏教的な意味、儒教的な意味、
それらの信仰的な部分に、スピリチュアル的な意味や価値が
伝わっていること、そして、そこに日本人の心のあり方の
源流があることを忘れてはならないと思います。
大乗仏教、儒教、道教が日本に伝来したころ、
聖徳太子、天武天皇をはじめとした大和の知恵者が、
その教えを取り入れていきました。
良いものは取り入れるというのは善き姿勢だと思います。
日本仏教は、大乗仏教から変遷してきたわけですが、
大乗仏教は、ヒンドゥー教にお釈迦様の教えを少し混ぜたものなので
ヒンドゥーの神々が多く日本に伝来することになりました。
また、残念なことにお釈迦様の教えは、
日本に正しく伝来することはありませんでした。
とくに、サンガという重要な部分については、
まったく日本には伝わっていないことは良く知られているところです。
そのため、仏法僧というものは正しくは存在していません。
サンガが無かったのですから。
出家者が在家の五戒も守れないようになってしまっているのも
日本仏教が、お釈迦様の教えから遠くなっていることのひとつです。
戦前までは、日本人は、あなたは何を信仰していますかと
問われたら、神様とか、仏様と答えたことでしょう。
宗教は何かと問われたら、神道、仏教と答えたことでしょう。
戦後を経た今、多くの日本人が、無宗教と答える状況に
日本の霊格は堕ちています。
神社にお参りし、お祭りを祝い、お盆に先祖を敬いうという
宗教儀礼に参加しているのに、無宗教と言うのは、
おかしなことなのですが、それをおかしいと思わないレベルまで
慣習と慣例から、本来の意味が失われてきているということです。
信仰を持つ外国人から見たら理解できないおかしいと思われるのは
当たり前なことです。
物質的な豊かさの代償に、
日本人は大事なものを失っていっているといえるでしょう。
その結果、多くの社会問題が発生してきているのだと思われます。
自然を大事に思い、見えない存在に畏敬の念をもち
祖先を敬い感謝し、家族の絆を大切にしていた日本人の心、
その精神は、日本人の信仰心に基づいたものでした。
信仰心を失っていくなかで、心も失われてきたと
いえるのではないでしょうか。
戦前のすべてを否定してきた戦後教育は、
大きな過ちであったことは明白です。
戦前の反省すべき点、悪かった点のみを改善して
戦前の善き点をしっかりと継承することこそが
大切であったといえるでしょう。
いまから、それを取り戻していく必要あるということです。
どんな宗教であるかは、関係ありません。
目に見えない存在に対して、しっかりと向き合い
畏敬の念をもって対することが出来る心を
取り戻していくことが大事なのです。
そして、日本の文化、伝統、慣習などに残されたものの
本質を学んでいくことが、祖先への感謝と敬愛となると
いえるでしょう。
日本仏教もまた、江戸以前の開祖の頃の在り方を
省みて、原典回帰していく必要があるように感じます。
行き過ぎた政教分離も変えていく必要があるでしょう。
スピリチュアル的な面へのアプローチが
より大切になっていくことでしょう。

低下してきた日本の霊格がこれ以上堕ちることのないように
するためには、日本人の心に信仰心がもどってくることが
必要になります。
そのことを、ひとりひとりが考えていくことが
人生の価値を高めていくことに繋がっていくことでしょう。
そして、社会がより善い環境へと変化していくための
土台となっていくことでしょう。
posted by 禁酒・禁煙・ベジタリアンのITコーディネータ 松原広幸 at 23:49| 静岡 ☀| Comment(0) | コラム:神の叡智から学ぶ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする