2010年03月31日

教育のあり方とは

 1947年3月31日、戦後の日本の教育体制の基本を形成する
法律が、公布されました。
教育基本法と学校教育法です。
 そこから、六・三・三制が導入されて、
教育の機会均等が、新憲法に基づいて、謳われるように
なったわけです。
しかし、戦後の日本の教育は、占領軍の影響から
逃れることは出来なかったといえるのでしょう。
戦前までに、もっていた日本の教育のなかの良さまでも
失わせることになってしまった部分があったといえるようです。
もちろん、日本の教育は、戦後の復興と高度成長に
大きく寄与してきました。しかし、大切な日本の心というべき
部分についての教育を見失ったために、静かに進行していた
歪みが、高度成長の終わりと共に表面に顕在化してきたと
いえるでしょう。
学ぶこととは何なのか、学ぶ意味とは何なのか、
社会を支えるとはどういうことなのか、
社会を築くということはどういうことなのか、
人生を活きるために必要なこと、大事にすべきこと
そんな部分についての教育が失われていたということでしょう。
それは欧米の合理的な教育にはないものであり
寺子屋などで、地域のなかや、祖父などの人生の先輩と
いっしょに生活する家庭のなかで、学んでいたことでかも
しれません。
 ゆとり教育のゆとりが、誤った方向に解釈されてしまい
本来の意味を失って、失敗したという感じでした。
πを3.14から3にするのはゆとりではないのに、
そんなことをゆとりだとおもっていたことが、失敗の原因でしょう。
学力低下は、そんなゆとりの破棄違いから起こった既決であったと
いうことなのだとおもいます。
今回、そんなゆとり教育が見直されるということになり
でも、どうも、また間違った見直しになってしまいそうな
感じが見受けられます。
失敗したゆとり教育を、正しいあるべきゆとり教育へと
見直すべきなのでしょうけど、失敗したゆとり教育以前に
戻そうという格好になってしまっている気配が感じられます。
それでは、意味はないような気がします。
 国の関与する内容を削減して、地方や学校にカリキュラムの
内容に関する自由度をもっと付与していくことが
必要であるといえるでしょう。
国が指定した指導要綱に従わなければならないということが
そもそも大きな問題であるように感じます。
指導要綱自体が細かすぎるということであるということです。
国は指定するのは、大枠だけで充分でしょう。
そして、禁止事項だけで充分であるといえます。
教える内容の詳細は、地方、地域、学校毎に、考えていく
そんな方向に改革していって欲しいとおもいます。
減点主義から加点主義へ。
学力成果主義から能力個性主義へ。
社会のあり方を含めて、人間性を高めることのできる
ものに変わっていくことが求められているように感じます。
posted by 禁酒・禁煙・ベジタリアンのITコーディネータ 松原広幸 at 09:38| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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