2010年09月20日

苗字〜敬老〜彼岸の入りに、そろそろ残暑も・・・

 昨日は、苗字の日だったようですね。
夫婦別姓については、私は個人的には反対です。
理由は、日本における苗字の意味を考えた上でのことです。
夫婦別姓を言う人の理由は不便だからという経済的というか
表面的なことだけで、何か軽いというか利己主義的な
傲慢を感じてしまいます。文化的、社会的に考えたとき
他国でも苗字のあり方は、その国の文化や歴史に根ざした
扱いになっているのですから、日本も自国の文化や歴史に
根ざした扱いでよいとおもうからです。
明治3年9月19日に、太政官布告が出て、平民が苗字を
もてるようになったわけです。それ以前において
苗字は家を表すものであり個人のものではなく
家を重要視した貴族や武士などが持っていたもので
あったわけです。そして、明治のはじめに苗字を
誰もが付けれるようになったときも、その意味に
したがって、家を示すものとして付けられたのであって
個人のもの、個人を示すものとして付けられたものでは
ないわけです、家族を示す名前であるのですから
家族でひとつであるべきものだということです。
別姓であれば、それは家族ではないというのが
日本の文化であり慣習であり歴史であるということです。
夫婦別姓でないと不便といわれるものは、
別姓にしなくても対応し解決できる課題しかありません。
つまり、別姓にする理由にはなっていないのです。
他の制度を少し変えれば済むことだけなのです。
 コミュニティの重要さがいわれるなかで、
やはり家族というものの絆を取り戻すことが
大切であるように感じられるとき、その家族の絆の
象徴として、日本古来からあった苗字というものの
もつ意味をきちんと考えるべきではないかと感じます。
 今日は、敬老の日です。
「多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」
日本が、老齢社会になってから、老人に関する問題が
社会問題とされてきました。介護の問題は、社会問題と
なっています。でも、本当は、介護の問題は、家族の問題で
あるはずなのです。大家族が崩壊したこと、地域のコミュニティが
崩壊したことが、社会の問題として出てきた理由であるとも
いえるかもしれません。先人に感謝する心を見失ってきた
日本人に科せられた天罰なのかもしれませんね。
 大家族の復活や、地域コミュニティの再生が、
日本の多くの社会問題の根本を解決していくために
必要なものであるのかもしれません。
なぜなら、大家族が生きているところ、地域コミュニティが
しっかりしているところでは、多くの社会問題が発生せずに
よき生活が営まれているからです。
ベストプラクティスを探すというのであれば、
まさに、今、よき生活を営んでいる家族やコミュニティが
どんなものなのかをみてみれば良いということでしょう。
 秋の彼岸の入りともなった今日、
先祖への感謝、老人への感謝という心を忘れずに、
過去から学び、未来へと繋いでいくことを、
考えてみるのもよいのではないでしょうか。
posted by 禁酒・禁煙・ベジタリアンのITコーディネータ 松原広幸 at 09:52| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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