2012年07月18日

脱原発に関連して、政府に求めるべきことは何なのか


 原発に関連した話題について、個人的に感じることを、徒然なるままに書いてみようと思います。

 
 最近、原発の再稼働に関連してのデモが話題になっています。また、エネルギー政策に関する公聴会についても話題になっています。
 国民の期待を裏切る形になった民主党の野田政権、まあ、そもそもが自民党の政権を一度交代させなければダメだろうということで出来た民主党ですから、政権交代という目標が達成されたあとについては、それぞれの思惑が対立してくるのは自明なことであったのかもしれません。しかし、自民党がここでまた政権に復帰すればもとの黙阿弥でもあったりします。原発政策は自民党の元で推進されてきたものなのですから。民主党がエネルギー政策に関連して提示した3つの選択案はあきらかに官僚主導の出来レースという印象を感じます。
 
エネルギー・環境に関する選択肢(平成24年6月29日エネルギー・環境会議決定)
http://www.npu.go.jp/policy/policy09/pdf/20120629/20120629_1.pdf
正誤表
http://www.npu.go.jp/policy/policy09/pdf/20120705/20120706.pdf
エネルギー・環境に関する選択肢[概要](平成24年7月17日掲載)
http://www.npu.go.jp/policy/policy09/pdf/20120713/gaiyo.pdf
エネルギー・環境の選択肢に関する国民的議論の進め方について(平成24年7月13日更新)
http://www.npu.go.jp/policy/policy09/pdf/20120705/20120705.pdf
 
 3つの選択といいなが、あきらかに真ん中の2030年15%に落ち着くようにもっていっている内容となっているといえるでしょう。導入の部分からが、原発ゼロの考えがないことは明白です。個人的には、2050年に原発ゼロというのを、2030年に15%のところに追加して欲しいという感じでしょうか。政府の方針として、いずれは原発ゼロにするという大前提を決めて欲しいというのが個人的な意見であり希望です。その大前提があっての2030年での中間目標であるなら、15%という案は是認できるところではあります。
 
 原発反対のデモでの再稼働をやめろということについては、個人的にはそれはありえないだろうという見解です。もし、再稼働しないで、このまま原発を停止させたままにしたら、おそらくは原発は放置状態になるでしょう。なぜなら価値を生み出さないゴミになってしまうのですから。それはリスクを高めるだけだと感じます。
一定の運用をしながら廃炉へと流していくことが、もっとも安全に原発を処理していく方法であると思うからです。もちろん、稼働にあたっては安全性を担保することが前提ではあります。東日本大震災規模には耐えられるレベルであることが基準となるべきなのは当然のことでしょう。そのレベルにあるものについては再稼働していくべきだと思います。その方が安全であるといえるでしょう。
 
 原発については、エネルギー環境会議も提示しているように単純に事故リスクだけで論じるべき問題ではないといえます。もちろん、放射能リスクに限定することはナンセンスです。福島の事故による放射能の影響で亡くなる可能性のある人は現場作業員以外ではゼロでしょう。実際、肉食や喫煙、発がん添加物などの影響でガンになる人に埋没するレベルでしか放射能の影響はないのですから。それよりも、停電事故があれば、命を落とす人が出る可能性が高いといえるのが現実なわけです。
 
 原発ゼロへの向けての課題はいくつかあると思います。
 
1.エネルギー安全保障上のリスク
 ・輸入依存による供給不足・価格向上リスク
2.エネルギー供給上のリスク
 ・発電量の消費電力増加に伴う供給不足
3.環境問題上の課題
 ・CO2排出の問題
 ・温水の問題
4.放射性廃棄物処理の課題
 ・核燃料の処分
 ・核燃料汚染物の処分
 ・廃炉
 
思い浮かぶものをあげても上記のようにあるわけです。
原発を停止させるだけで解決しない課題ばかりです。再稼働の是非などあまり意味がないともいえるでしょう。再稼働しなければ何かが解決するのかといえば何も解決しないのですから。解決するのは反原発の人たちの気分だけだといえるでしょう。災害時の破壊リスクのみを気にするのは偏重していると思います。実際に確率論でいえば、もっと気にすべきことがあるでしょう。福島の事故でも、4号機は稼働していませんでしたし、1号機から3号機も緊急停止はうまく実行されていました。でも、事故は起こったわけです。また、あの規模の地震の発生するリスクにおいては原発よりも津波や建造物倒壊、火災の方が大きいといえるでしょう。原発は皆同じという短絡的な考えから、チェルノブイリと比較したり、福島と他の原発を比較して論じるのはナンセンスだと思います。国内の原発も建設時期によって異なるものであるわけですから。きちんと個々の原発毎に安全性を認識して評価することが既に存在してしまっている現実においては重要なことだと感じます。再稼働反対よりも、もっと主張すべきことがあると思うのです。まず、今、もっとも大きな声をあげて認めさせるべきなのは
 
”新たな原発の建設の禁止の法令化”であると思います。
 
既に存在しているものは、どんなことをいってもなくなることなど有り得ません。そして、原発建設は自民党政権下において国民が容認してきたことなわけです。であるなら、まず原発建設の永久凍結を明確にすることが
第一ではないのでしょうか。その主張が聞こえてこないのが不思議でなりません。既存の原子炉を廃炉にして処分完了するまでを課題としるように限定することが必要だということです。次に、
 
”核燃料の輸入禁止の法令化”ではないでしょうか。
 
原発用の核燃料の新たな国内への持ち込みを禁止することを法令として定めるということです。すなわち、今国内にある燃料を使い切ったらおしまいということを確定させるということです。原発は安全と認められたものに限って、既存の国内にある燃料が続くあいだだけ稼働を認めるということです。これにより、処理しなければならない核廃棄物の量も明確にできます。廃炉や廃棄物処理についても計画を立てやすくなるでしょう。そして、個々の原発の稼働可能な期間を、安全性を考慮して決定し、廃炉処理の開始時期を明確化させていくということです。つまり、現在ある国内の原発の廃炉計画の日程をすべて決定させるということが重要であると思います。それを要求することこそが、脱原発を実現するために必要なことではないのでしょうか。でも、そんな要求は、デモの現場からは聞こえてきません。私たちは、まず、既に50+α(廃炉決定分)の原発が存在しているという事実をしっかりと認識すべきでしょう。そして、その責任は国民にもあるということを認識すべきです。反対してきたという人も、政治家になって本気で阻止しようとしてきたわけでもありません。また、世の中的には、CO2削減のために必要であるという人の方が多かったのではないでしょうか。もし、今回の震災で福島第一原発が第二原発のようにうまく収束していたらどうでしょう。原発推進はそのままになっていたのではないでしょうか。また、もしかしたら、東電が廃炉覚悟できちんと対応していれば、大騒ぎにはならなかったのかもしれないのです。今回の不幸があって、はじめて、多くの国民は、原発のもつリスクを認識したというわけです。でも、ある意味手遅れではあります。なぜなら、既に、存在している原発はなくなることはありませんから。稼働停止しても存在し続けるのです。再稼働しようともしなくとも何も変わりません。電力を供給するというプラスを考えるなら再稼働した方が益があるともいえるでしょう。命の問題として捉える人が多いようですが、実際のところは、震災についていうなら、原発事故がなかったとしても亡くなる人の数は変わらなかったという事実があることも忘れるべきではないでしょう。そして、事実として、原発を停止させたからといって、命が安全になるというわけでもありません。今後の震災でもっとも危惧すべきなのは、津波や倒壊、火災などで死者を出さないようにするにはどうすべきなのかということが第一であるということです。実際に命に直結するリスクは原発ではないということです。原発の問題のために、そちらが疎かになってしまうのを危惧します。
 
さて、原発についてですが、安全問題というよりも、廃棄物処理問題とそのコストの問題から、今後増やすべきではないと考えます。そして現状の数の原発を使いきったらゼロにするというのが現実的な選択であると思います。ゼロになっても、廃棄物管理という作業は残るのですから。そして、原発に関連した技術はしっかりと残していく必要もあります。それは、廃炉処理のタメでもあり、核廃棄物管理のためでもあるからです。それらをできるだけ負担少なく実施していくなかで、エネルギー問題にも対応し、環境問題にも対応していくという課題があるということです。現状で稼働可能な原発は50ですが、廃炉管理をすべきものもあわせると数は増えます。今の原発に関する法律のおかしな点は、廃炉が決定すると原発としてカウントしなくなるということです。廃炉が決定しても、存在していて管理しなければならないのですから、数としてカウントすべきであると思います。その部分についての法改正も必要であるといえるでしょう。
 
エネルギー問題とあわせて考えていくのであれば、小容量発電の推進によるベーシックなエネルギー供給の地産地消の促進ということが必要であると思います。大型電力の供給は、水力と地熱、波力を基準供給として、太陽光、風力を補助電力とし、天然ガス中心の化石燃料を変動制御とするレベルでの供給力のもとで、消費をまかなえるような産業構造への転換が求められるということになるでしょう。原発については、ゼロへの道を歩ませるわけですが、使用可能な50の原発のなかで、環境、安全性から、廃炉すべきか否かを判断していく基準を明確にして、使用期限をはっきりとさせて、廃炉計画も含めた管理スキームを明確に提示することを義務化することが重要であるといえるでしょう。廃炉・廃棄物管理技術の研究をもっと進める必要もあります。現状は、廃炉がきまると原発としてカウントされないこともあり、そのあたりの責任と監視とコスト負担が曖昧になっているようにも見えてしまいます。使用前、使用中、使用済みの核燃料についても、安全保障上、マル秘な部分があることはわかりますが、非公開であっても公的な管理をしっかりと行うことが重要であり全体としての状況レベルであれば公開しても問題ないだろうし国民の監視の目が何らかのかたちで行われるような情報開示のシステムを構築することや法整備を行うことが必要であるといえるのではないでしょうか。
 
原子力発電の技術は、人類にとっては必要ある技術だから与えられたのだと思っています。ただし、どこで利用するのかは、考慮すべきでしょう。酸素のないところでの熱源としての利用が中心だと思ってます。技術の進歩は、進歩する理由があるから、現実になっているのであると思います。ただし、その利用については、適正な方法、目的、場所を含めて、きちんと考えていかないとダメだということでしょう。それは、過去に発明や発見され開発されてきた技術が示していることでもあるのですから。ダイナマイトを発明したノーベルが考えていた用途とは違う用途で利用されて不幸を生み出したように、原子力にしても、これから出てくるだろう新技術にしても、使用すべき用途をきちんと管理していかなければ不幸を生み出す可能性はあるということです。そして、正しい利用と管理が行われるなら、社会に貢献し人々により快適な生活を供給することのできるものとなり得るということです。
良し悪しは、科学技術にあるのではなく、それを使う人間の判断、すなわち政治や社会の方にあるのだということを忘れるべきではないでしょう。
2012/7/18
posted by 禁酒・禁煙・ベジタリアンのITコーディネータ 松原広幸 at 01:02| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 科学・文明・学術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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