2013年11月10日

日本の仏教の今…に想う・・・

カイラス巡礼プラダクシャナから帰国して、ルンビニにて感じた事を、檀信徒でもあり、南無釈迦牟尼仏を基本念仏としていることでもあり、曹洞宗のホームページに、
質問をしてみました。以前にしたときに返事はなかったので、返信は期待していませんでしたが、なんと返信がきたので、せっかくですから、そのまま掲載しておきま
す。
返信については、日本の仏教の限界をあらためて感じたのと、少し安心はしたという感じでしょうか。
安心したのは、僧堂では一応、禁酒菜食が守られてはいるということ。
限界を感じたのは、道元禅師の教えから先には進めない学びになっているのだなということです。お釈迦様の教えには到達することないのだなという感じでしょうか。ル
ンビニはインドではなくネパールなのも知らないのですからね。道元禅師は、本当は西方に行こうとしていて、その途中で出会った僧のところで修行して帰国しなければ
ならなくなり、西方に行かなかったわけですが、帰国後に西方に行くことに意味ないと語られているのは、その後に本当の教えが日本に伝わることがなかったからでしょ
う。また、本人が行けない立場となり自分を納得させるために語られてものだと言えますからね。菜食については、お釈迦様が明確に語られていないのには、師とも言う
べき僧が残した伝承があり、それに遠慮して進んで語らなかっただけであることは、お釈迦様について学んでいけばわかることです。でも、曹洞宗としては、道元禅師の
教えさえ、学んでいけば良いということのようです。これは、日本の仏教の他の宗派も同様であるでしょう、つまり、開祖の教えで止まってしまい、その先には進んでい
かないということです。日本の仏教が、本来の仏教とは違うものになってしまったと言われる理由は、それぞれの開祖の教え以下でしかないということにあるのかなとも
感じます。それぞれの開祖が、行ったことは、師を越えて、探求し、探究し、修行したことであったはずです。しかし、その事実に気付き、行動する僧が出で来ることは
なさそうです。ルンビニにて学ぶことで得られることもあるはずです。お釈迦様の残したものを肌で感じる修行の場としての寺院が無い事は、やはり、道元禅師は残念に
思われているでしょう、それを魂で感じることが出来ないのが、日本の仏教の限界でもあるのでしょうね。
もちろん、開祖の教えを学んで戒律も守り修行し、日々を生きることは素晴らしいことであり、尊敬することです。それを否定するつもりもないし、そのことの素晴らし
さや価値も認めるところです。
出家者の十善戒、在家の五戒という。仏教の教えの基本を守り広めることすら、しっかりと出来ているとは思えない日本の仏教界は、お釈迦様の教えに近づき悟りへの道
を歩む上では限界があると思われても仕方ないのかなと感じるしだいです。
もちろん、個々の僧侶をみていけはば、宗派としての限界を超えて、悟りの道へと歩まれている方もいらっしゃいます。根本的には、宗教は必要なく、人、ひとりひとり
が、信仰心をもって、神仏と相対し、師に学び歩んでいけば良いだけのものではあるのですから。お釈迦様も、宗教などはつくってはいません。弟子たちがつくったもの
でしかないのです。お釈迦様にとっては、仏教など存在しないものであったということです。
本来なら、曹洞宗も、僧堂だけでなく、全ての寺を禁酒の場とし、精進料理のみをいただく場に、戻していくことをしていくべきだと思うのですけどね。

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拝復 松原広幸 様

この度は、曹洞禅ネットをご利用いただき、ありがとうございます。

また、ご質問も頂戴しておりましたが、当方は公式サイトという関係上、いただいたご質問に対し、会議を経た上でご返答しておりますので、時間を要しますことをご理
解いただけましたら幸いです。

頂戴したご質問ですが、ルンビニに曹洞宗が寺院を建立していないことが、道元禅師が悲しんでおられるのではないか、とするご意見と、僧院での禁酒・菜食の厳守とい
うことについての内容だと理解しました。

それぞれに返答いたします。

まず、前者です。

道元禅師はインドの仏教について、次のような見解をお持ちです。

梁の普通よりのち、なほ西天にゆくものあり、それ、なにのためぞ。至愚のはなはだしきなり。悪業のひくによりて、他国にレイヘイ(※漢字は出ません)するなり。歩
歩に謗法の邪路におもむく、歩歩に親父の家郷を逃逝す。なんだち、西天にいたりてなんの所得かある、ただ山水に辛苦するのみなり。西天の東来する宗旨を学せず、仏
法の東漸をあきらめざるによりて、いたづらに西天に迷路するなり。仏法をもとむる名称ありといえども、仏法をもとむる道念なきによりて、西天にしても正師にあは
ず、いたづらに論師経師にのみあへり。そのゆえは、正師は西天にも現在せれども、正法をもとむる正心なきによりて、正法、なんだちが手にいらざるなり。西天にいた
りて正師をみたるといふ、たれかその人、いまだきこえざるなり。もし正師にあはば、いくそばくの名称をも自称せん。なきによりて自称いまだあらず。
『正法眼蔵』「行持(下)」巻

道元禅師は、御指摘のような遺跡には価値を求めず、むしろ、如何にして現実に正法が建立されるかを重視しておられました。その意味で、既にインドで正法眼蔵を正し
く伝えた菩提達磨尊者が、中国に来た以上は、もはやインドは抜け殻のようなもので、インドに行く必要などはないと指摘しているのです。それを、「いたづらに西天に
迷路する」と述べています。そして、中国や日本に、正法眼蔵を明かしていくことが肝心だと考えておられるのです。よって、大変に申し上げにくいのですが、現状のイ
ンドに曹洞宗教団が遺跡を作っていないからといって、道元禅師が悲しむことはあり得ません。

後者です。

現在の曹洞宗の僧堂(修行道場)では、精進料理と称される、いわゆる肉類を用いない食事を行っています。また、特に朝食・昼食の二度の食事は厳格なる作法で行わ
れ、そこには御指摘のような飲酒などが入り込む余地はありません。なお、ご承知だと思いますが、飲酒の厳禁は釈迦牟尼仏在世の時代からでしたが、菜食を中心に行う
ことは、『梵網経』という経典の影響が大きく、その経典の影響がない東南アジアのテーラワーダ仏教では、肉食を通常に行うことを付記します。

以上、大変に雑駁ですが、返答とさせていただきます。

今後とも、禅ネットをご利用くださいますようお願い申し上げ、失礼いたします。

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
曹洞宗公式サイト「曹洞禅ネット」
曹洞宗宗務庁 広報係
e-mail: zen-net.mail@sotozen.jp
http://www.sotozen-net.or.jp/
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posted by 禁酒・禁煙・ベジタリアンのITコーディネータ 松原広幸 at 07:41| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 科学・文明・学術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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