2018年04月30日

聖書の教えとは・・・・・


キリスト教の流れの中にある教えを
学ぶ場に、参加する機会がありました。
その中で学んだことと、私がこれまでに
生きてきたなかで、学んだことから、
個人的な意見を少し語ってみようかと思います。
あくまでも、一小市民の考えでしかありませんので
その点はご承知おき下さい。
当然、間違っているかもしれません。
または、もしかしたら確信を得ているところも
あったりするかもしれません。
それは、私が判断できるものではありません。
でも、私の意見の中で、何かを感じることが
出来るようでしたら幸いです。

この世の中における経済、政治の問題は
欧米中心にして存在していると言えるかもしれません。
欧米の世界は、基本的に一神教の世界となっています。
争いは、欲望の発露であるとも言えます。
一神教の国々の歴史的な恩讐や価値観の違いは、
本来、あるべきものではないと言えるでしょう。
しかし、なぜかなくなりません。
それは、本来の一神教の教えが正しく伝わっていない
認識されていない、または、阻害されているから
なのだと言えるのではないでしょうか。
阻害は、サタンやブラックマジックや
バッドスピリッツなどによるものもあるでしょう。
または、それぞれのカルマによるものもあるかもしれません。
一神教では、原罪、罪によるものという視点もあります。
一神教の世界の課題は、一神教の教えをもって
解決していく必要があるとも言えるでしょう。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、
一神教は、欧米中心にして、世界の主要な国や人々に
根付いています。
その教えの原点は旧約聖書であり、
信仰する神は同じ創造神クラスの神であり
神の御使いも同じであるわけです。

創造神の意図により、この世界が創造されたことが
創世記に記述されています。
そして、最後に人を創造されたわけです。
エデンの園に、アダムとエヴァを創造して
神より守るべき約束を告げられて
禁酒、フルータリアンとして
様々な動物たちと共に暮らしていたわけです。
自然にアヒンサーが守られている世界であり、
理想的な霊性修行の場であったのだろうと
思われます。そのまま神との約束を守っていたら
成長し、真理を学び、神の世界へと逝くことが
出来たのでしょう。
ところが、天使長にそそのかされたエヴァが
アダムを誘い神との約束を破ってしまいます。
神との約束を破ったことにより罪を得てしまい
エデンの園を追放となってしまうわけです。
キリスト教では、これを原罪と読んでいます。
そそのかしたものはより重い罪を背負うことに
なったわけです。
そして、死後は地獄に行くことになるわけです。
天使長ルシフェルは堕落してサタン長となったと
されるわけです。
以後、エデンの園に戻るための歩みが始まると
いうことになります。
追放された堕落世界は、飲酒、ノンベジの世界でも
あったわけです。
エデンに戻るためには、新たな神との契約を守り
蕩減復帰を成し遂げていくことが必要ということに
なったわけです。
カルマ解消とも言えるでしょう。
では、どの様にして、エデンに戻っていくのか
その道について、先人たちの歩みと失敗の記録が
聖書に綴られていると解釈されていたりします。
アダムの家庭における復帰の道は、
その子であるアベルとカインによって
なされるはずであったというわけです。
神からの啓示を守ることが出来るのかという
ことに尽きる内容であるのに、
誘惑や心の弱さによって、神との約束、啓示を
守ることが出来ずに、罪を重ねていったわけです。
神への従順と私欲を捨てることが出来るのか
それが問われている内容が試練として
語られていきます。
アベルとカインの兄弟の失敗は、
その弟のセツの家系によって蕩減復帰が
求められていきます。
ノアの家庭へと繋がっていくわけです。
ノアの家庭は、神の啓示を信じて
洪水を生き残ることになるわけです。
黄色肌のセム、黒い肌のハム、白い肌のヤペテ
ノアの息子たちにも試練が課せられます。
しかし、失敗してしまうわけです。
そして、その子孫にまた蕩減復帰すべき罪が
残されていくことになるわけです。
アブラハムの家庭へと引き継がれ、
アブラハムは最初に躓きます。
そのため、イサクとイスマエルの兄弟が
アベルとカインの蕩減をすることなく、
イサク献祭という試練を経て、
イサクの子であるヤコブとエサウによって
蕩減復帰の試練が受け継がれることに
なります。
イスマエルは、アラブの民となり、
イスラム教の民へと繋がれていきます。
ヤコブは、母リベカの協助もあって
蕩減復帰の試練に勝利します。
その勝利権により、
イスラエルと名乗ることになるわけです。
イスラエルの民は、その後祖先の罪を
蕩減するための試練をエジプトで受け
モーセの登場によって導かれて
カナンの地に国を築くことになるわけです。
そして、サウル、ダビデ、ソロモンと
聖霊の叡智の深まりと国家の繁栄を得ます。
大預言者エリアが登場するも、
国の分裂を招き、バビロンに捕囚され、
預言者マラキにより改革が行われ、
エリアの再臨が予言されるわけです。
ユダヤ教は、エリアの再臨を待っています。
エリアの再臨として、キリスト教は
イエスを預言者、再臨主としています。
しかし、メシアとしてのイエスは、
十字架に磔にされて王として迎えられることなく
天に戻ってしまいます。
アダムからアブラハムまでの2000年
アブラハムからイエスまでの2000年
イエス以後の2000年
一神教世界の歴史は螺旋を描くように
同時性を持ちながら領域を広げて
繰り返す形で復帰を求めてきたと
言うわけです。
ヤコブ=イスラエルからの
エジプト苦役時代400年
モーセから出エジプト後の
士師時代の400年
サウルからの統一王朝時代120年
南北王朝分立時代400年
民族捕囚復帰時代210年
マラキからメシア降臨準備時代400年
メシアとしてイエスを迎えるも
エデン復帰ならず。
ユダヤ教からキリスト教が生まれる
イエス昇天からのローマ迫害時代400年
アウグスチヌスから教区長制教会時代400年
ムハマンドの登場によるイスラム教の成立
カール大帝からのキリスト王国時代120年
東西王朝分立時代400年
法王捕虜復帰時代210年
ルターによる宗教改革から
メシア再臨準備時代400年
21世紀は再臨の時代
一神教が、蕩減復帰をなして、
エデンに向けて歩みをなす時代
アダムとエヴァの罪、
アベルとカインの罪、
その罪を復帰できずに繰り返された罪
それらを贖罪して、サタン、悪心を分立し
救いを成して昇華させて、
新しいエデンを築く時代にあるという。
幸せはどこにあるのか、
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教
どの教えも、幸せの基盤となる社会の単位を
家庭に定めています。
家族を大事にすることが基本となっています。
ところが、現代社会は、個人主義の行き過ぎから
家庭崩壊が起こっています。
その為に、多くの社会問題が発生していると
言えるでしょう。
理想の夫婦、理想の家庭があってこそ、
理想の地域社会、理想の国家があり得るとのは
この世界における真理であると言えるでしょう。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の
どれもが、人類始祖として
アダムとエヴァを、
聖者として預言者として
ノア、アブラハム、モーセを認めています。
旧約聖書の預言者は、一神教の共通な預言者であり、
聖者であると言えるでしょう。
イスラム教はイエスも偉大な預言者としています。
最後の預言者がムハンマドであるとしているわけです。
イエス様にかかった聖句をまとめたものが新約聖書であり、
ムハマンドの啓示の内容をまとめたものがクルアーンです。
キリスト教はカソリック、プロテスタントに分かれ
プロテスタントからは更に聖者や預言者が現れていきます。
イスラム教も、スンニ派、シーア派に分かれ、
シーア派からは、バハーイー教が現れます。
一神教のベースである聖書を解く形で出てきたものに
統一原理があります。
一神教の世界は、政教一致と政教分離を繰り返しながら
唯物論、共産主義を生み出すという神からの乖離の
流れも出してきました。
それらを、神学的、哲学的に、統合包括批判して
一神教のゆくべき道を示しているひとつが
統一原理、統一思想の考え方であると言えるでしょう。
既存も宗教は、神と肯定し、魂の存在を認めるという
点において、それぞれに尊ばれるべきです。
その価値は別として、その存在を否定し
非難するのは間違った姿勢であると言えるでしょう。
宗教が神を信じ、信仰心を大切にしていくならば、
互いに尊敬し尊重し、争うことなく
認めあっていくことが出来るでしょう。
そうしていくなら、神の愛を感じ、家庭の絆を
神の愛と共に醸成していくことができ、
理想の家庭が築いていけることでしょう。
そして、理想の家庭が基盤となった社会は、
理想な社会へと育まれていくはずです。
この世的なエデンを求めていくことが、
一神教の担うことであるとしたら、
再臨の時代の中において、再臨主の教えが
伝え広げられていくことによって、
ひとつの成果が導き出されるのでしょう。
もちろん、その成果、結果がどうなるのかは、
この世に生きる人々も手に委ねられているわけです。
プロテスタントの系譜は
アジアのキリスト教国である韓国に継承されて
いったと言えるでしょう。

この世界には、一神教以外の教えも存在しています。
西洋の歴史学の視点からみてみると
エジプト神話
古代エジプト紀元前3000年以前
ギリシャ神話
ギリシャミノア文明紀元前2000年以前
ヴェーダ神話→ヒンドゥー、ジャイナ、仏教、他
インダス文明紀元前2600年以前
中華→儒教、道教
夏紀元前2070年以前
日本神話→神道
日本国紀元前660年
といった感じで、多神教の教えが存在しています。
多神教の世界では、この世ではない世界
神々の世界のことが伝えられています。
または、仙人や神獣の住む世界のことなども
語られています。
目に見えない存在、スピリチュアルな世界について
一神教よりも広範囲で深く語られているわけです。
多神教から見たとき、一神教は、
神々の中の創造神の一神により啓示され導かれしものと
言うことになるでしょう。
もちろん、各聖典、神の御使いの存在も
肯定するものであることは変わりません。
一神教に伝えられる聖霊の叡智は、
この世において非常に強力で即効的な影響を
及ぼすことの出来る内容が多くあります。
その多くは、奇跡として伝承されていたり
魔法、魔術として伝承されていたりします。
ビジネスの世界で成功の手法として語られるものも
多くが、ユダヤの手法がベースとなっていたりします。
そういった意味からも、この世を整える役割の
多くを一神教が担っているように感じられます。

聖霊の叡智は、
モーセ Moyses の奇跡
ダビデ David の魔法
ソロモン Salomon の魔法
イエス・キリスト Yhoshuah ha-Mashiah の奇跡
その後は、
アレイスター・クロウリ− Aleister Crowley
マグレガー・メイザース Macgregor Mathers
アブラメリン Abramelin
と、魔法の叡智が継承されていきます。
そして、
その叡智は、アジアへと継承されていっています。
アジアのキリスト教国であるフィリピンの
心霊治療も、その叡智の系譜です。

目に見えない世界、
その存在を信じるのか、
信じないのか、
その差は、霊的に大きな違いとなります。
霊性を高め、スピリチュアル的な健康を求め、
魂の成長を望むのであれば、
まず、目に見えない世界の存在を
信じるところから始める必要があるでしょう。
目に見えない世界を信じられないなら
聖書の世界も信じることは出来ないでしょうから・・・。
posted by 禁酒・禁煙・ベジタリアンのITコーディネータ 松原広幸 at 21:48| 静岡 ☀| Comment(0) | コラム:神の叡智から学ぶ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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