2018年06月01日

日本人の信仰と宗教について

日本人の信仰と宗教について

 日本の仏教は、まさに日本仏教といってよい
特殊な変遷を経たものとなっています。
先だって、NHK番組の歴史秘話ヒストリアにて

奥深いニッポンの信仰心
http://www.nhk.or.jp/osaka-blog/historia/298556.html

という内容の放送がありました。
神仏習合の“封印”を解き明かしたと題するものでしたが
番組内容はあまり信仰心のあるとは思えないものでした。
神事に対する扱いを、もっと信仰心をもって
畏敬を忘れないで番組作りをして欲しいなと感じました。
おそらく、製作者、制作者ともに信仰心が薄いのでしょう。
非常に残念なことだなっと感じました。
日本の信仰の基本は、神道にあるわけですが、
その源流は、自然崇拝からきているわけです。
シャーマニズム的なものであったといえるでしょう。
女神も多く、司祭も女性が多かったのは、
日本に住むスピリチュアル的な存在の嗜好によるもので
あったのかもしれません。
日本における神は、スピリチュアル的な存在全てを
さすものであったわけです。
エンティティや妖精や妖怪といったものまで含め
目に見えない存在や、強い力をもった存在は、
すべて神として畏敬をもって対していたのが
日本人の信仰であったといえるでしょう。
八百万の神とは、まさに日本人の信仰感の基本と
なっているということです。
大陸から大乗仏教が伝わってきたとき
仏もまた目に見えない存在であったので、
何の違和感もなく、八百万の神の中に
受け入れることが出来たはずです。
番組では、政治や宗教によって、取り込みが
行われたという部分をフォーカスしていましたが
日本に大陸から伝わってきた教えとしては、
主流は中国の教えと中国経由での教えであったわけです。
儒教と大乗仏教が、大きなものであったといえるでしょう。
共に、日本の社会にとって、違和感のあるものでは
なかったといえると思います。
大和朝廷は、この教えを統治に使うことで
人心を掌握し人々と導いていくことが出来ると考え
取り入れていったことになります。
よりわかりやすく民に伝えるために、
番組で紹介されていたように、仏を八百万の神に
取り入れていったということです。
大乗仏教で伝わっている仏の多くは、
ヒンドゥーの神々であったりするので、
ヒンドューの神々の化身としてお祭りされている
仏様や神様も数多く存在しています。
番組の中で、神と仏の違いについての下りが
ありましたが、あまり意味のないものでした。
実際、本当に深いレベルでは、違いはないのですから。
表面的な違いは、信仰とは関係のない宗教的部分に
よりものであったりするので、気にすることは
あまりありません。
どの様な神でも仏でも、目に見えぬ存在に対して
畏敬の念を忘れることなく対することが
大切であるということなのですから。
日本には、お釈迦様の教えはほとんど伝わっていません。
大乗仏教が、大衆向けにインドでの教えの初心者向けの部分を
整理したものであるために、多くの内容が
ヒンドゥーの内容であったりしています。
また、原典のサンスクリット語の音を漢字にあてて写したため
漢字を表音文字として使ったことで、
その内容を漢字を表意文字として読み取ってしまって
まったく異なった内容として学ぶようになってしまったものが
数多く存在しているために、本来の意味が伝わっていないものが
多くなってしまっています。
その代表的なものが般若心経であったりします。
本来は音をサンスクリット語として訳すべきなのですが
多くが、漢字をそのまま訳しています。
もちろん、音あてした人が、本来の意味に近い漢字を
選んでいるので、それなりの意味にはなるのですが、
正しい意味にはなりえません。
ただ、その解釈は、お釈迦様の教えではないとしても、
その後の高僧の教えではあるので当然尊いものです。
日本に大乗仏教が伝来した当時は、大乗仏教として
しっかりとした内容のものであったのですが、
日本仏教は、だんだん本来の姿を失っていきます。
それは、神仏習合によるものということではないと
私は思っています。
一つ目の劣化点は、江戸の寺社奉行制度導入によるものであり
二つ目の劣化点は、明治維新の廃仏毀釈、西洋化政策によるものであり
三つ目の劣化点は、戦後の唯物個人主義教育によるものだと
思っているからです。
この変化は、そのまま日本の霊的レベルの低下にも関わっています。
NHKの番組では、神仏習合と神仏分離(廃仏毀釈)を扱っていました。
ただし、その視点は西洋学術的な俯瞰でしかなく、
本質に迫るようなレベルのものではなかったといえるでしょう。
しかし、それは番組の性質上、そうなったのだと思いますので
仕方のないところです。
日本人は、昔から受け継がれてきた大事なものを
形式だけを受け取って、その背後にある深い意味について
目を向けることをやめるようになってしまっています。
それは唯物個人主義教育の影響抜きではあり得なかったでしょう。
お祭りや年中行事には、神仏的な意味が背景にあるものです。
その部分の深い知恵に、もっと目を向けていく必要があるでしょう。
そうしないと、形式だけの継承はやがて廃れていってしまい
消えていってしまうことでしょう。
神道的な意味、大乗仏教的な意味、儒教的な意味、
それらの信仰的な部分に、スピリチュアル的な意味や価値が
伝わっていること、そして、そこに日本人の心のあり方の
源流があることを忘れてはならないと思います。
大乗仏教、儒教、道教が日本に伝来したころ、
聖徳太子、天武天皇をはじめとした大和の知恵者が、
その教えを取り入れていきました。
良いものは取り入れるというのは善き姿勢だと思います。
日本仏教は、大乗仏教から変遷してきたわけですが、
大乗仏教は、ヒンドゥー教にお釈迦様の教えを少し混ぜたものなので
ヒンドゥーの神々が多く日本に伝来することになりました。
また、残念なことにお釈迦様の教えは、
日本に正しく伝来することはありませんでした。
とくに、サンガという重要な部分については、
まったく日本には伝わっていないことは良く知られているところです。
そのため、仏法僧というものは正しくは存在していません。
サンガが無かったのですから。
出家者が在家の五戒も守れないようになってしまっているのも
日本仏教が、お釈迦様の教えから遠くなっていることのひとつです。
戦前までは、日本人は、あなたは何を信仰していますかと
問われたら、神様とか、仏様と答えたことでしょう。
宗教は何かと問われたら、神道、仏教と答えたことでしょう。
戦後を経た今、多くの日本人が、無宗教と答える状況に
日本の霊格は堕ちています。
神社にお参りし、お祭りを祝い、お盆に先祖を敬いうという
宗教儀礼に参加しているのに、無宗教と言うのは、
おかしなことなのですが、それをおかしいと思わないレベルまで
慣習と慣例から、本来の意味が失われてきているということです。
信仰を持つ外国人から見たら理解できないおかしいと思われるのは
当たり前なことです。
物質的な豊かさの代償に、
日本人は大事なものを失っていっているといえるでしょう。
その結果、多くの社会問題が発生してきているのだと思われます。
自然を大事に思い、見えない存在に畏敬の念をもち
祖先を敬い感謝し、家族の絆を大切にしていた日本人の心、
その精神は、日本人の信仰心に基づいたものでした。
信仰心を失っていくなかで、心も失われてきたと
いえるのではないでしょうか。
戦前のすべてを否定してきた戦後教育は、
大きな過ちであったことは明白です。
戦前の反省すべき点、悪かった点のみを改善して
戦前の善き点をしっかりと継承することこそが
大切であったといえるでしょう。
いまから、それを取り戻していく必要あるということです。
どんな宗教であるかは、関係ありません。
目に見えない存在に対して、しっかりと向き合い
畏敬の念をもって対することが出来る心を
取り戻していくことが大事なのです。
そして、日本の文化、伝統、慣習などに残されたものの
本質を学んでいくことが、祖先への感謝と敬愛となると
いえるでしょう。
日本仏教もまた、江戸以前の開祖の頃の在り方を
省みて、原典回帰していく必要があるように感じます。
行き過ぎた政教分離も変えていく必要があるでしょう。
スピリチュアル的な面へのアプローチが
より大切になっていくことでしょう。

低下してきた日本の霊格がこれ以上堕ちることのないように
するためには、日本人の心に信仰心がもどってくることが
必要になります。
そのことを、ひとりひとりが考えていくことが
人生の価値を高めていくことに繋がっていくことでしょう。
そして、社会がより善い環境へと変化していくための
土台となっていくことでしょう。
posted by 禁酒・禁煙・ベジタリアンのITコーディネータ 松原広幸 at 23:49| 静岡 ☀| Comment(0) | コラム:神の叡智から学ぶ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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