2018年08月11日

「生まれながらの不平等をどう考えればいいですか? 」

「生まれながらの不平等をどう考えればいいですか? 」

岡田斗司夫氏のニコ生ゼミでの質問に
次のようなものがありました。

「生まれながらの不平等をどう考えればいいですか?
世の中には、歌が上手い人がいます。
一方で、練習してもなかなか上手くならない人もいます。
子供っぽい人、怒りっぽい人がいると思えば、
人格者のような人もいます。
貧乏な国に生まれる人もいれば、
先進国に生まれる私たちがいます。
私の親は生まれ変わりを信じており、
『前世での行いの結果、
生まれた直後の状態が千差万別に変化し、
傍らから見ると不平等に見える』と説き、
『誰しもが幾度もの生まれ変わりを経て、
人格の完成を目指してる』と言います。
岡田さんはこのような生まれながらの不平等を
どのように捉え、説明しますか?」

岡田氏は、この問に関連して
「答え」と「思ってること」は別であると
「答え」は「本当のこと」に近いものであり。
「思ってること」は「自分に言い聞かせてること」だと
して、幾つか例え話をされてから、
「「生まれながらの不平等をどういうふうに考え、
説明しますか?」に関しては、
「基本的にここまで思い込んじゃってる質問者さんには
「いやもう、運だよ運」っていうふうに言うし。
質問者さんが「運だけではどうしても納得できないんです」
っていうふうに言い出したら、
「まぁ、これを全部をゲームとして考えたら?」
っていうふうに言うと思います。」
と答えています。
しかし、それは、相手が満足すると思うことを
伝えるようにしていますという内容であって、
「本当のこと」については、答えてはいませんでした。

質問者は、すでに、両親から
本当の答えを聞いているのに、
それに納得できないのか、
他の意見を聴きたかったからなのか、
それに対して、岡田氏は、「運」という言葉と
「多様性」「面白くない」という言葉で
上手く返しているといった感じでしょうか。

「本当のこと」=「真理」は、
ときに、人によっては、受け入れることが
出来ないことがあるということを示している
ともいえるケースでしょう。

さて、岡田氏は「答え」たものの
「本当のこと」にふれることはありませんでした。
「納得できること」と「本当のこと」は
ときとして、同じではないということなのです。
人は、「本当のこと」ではなく
「納得できること」を求めるものです。
故に、ビジネス相談の多くは、
「本当のこと」ではなく、質問者や相談者が
「納得できること」を答えているのです。
しかし、本当の信仰の師となるような方は
「本当のこと」しか答えません。
それゆえに、その答えに「納得できない」人も
多く出てきます。なぜなら、その答えは
「真理」であるがゆえに「厳しい」ものでも
あるからです。
お釈迦様も、イエス様も、「本当のこと」を
答えていらっしゃいました。
そして、質問者にとって、そのときに必要な
「本当のこと」を、その人が理解できる言葉を
選んで、伝えていらっしゃいました。
「本当のこと」であるとともに
「理解できる必要なこと」を答えることが
できる方は、信仰者の師と呼ばれるような
みなさんであるといえるでしょう。
そんな師と出会えることは最高の栄誉であり
幸せなことであるといえます。
そんな出会いは「運」ではなく「縁」です。
実は、「運」というのは、「縁」あってのこと
であったりするのです。

さて、最初の質問にもどります。
「生まれながらの不平等をどう考えればいいですか? 」
これに対する答えについて、はっきり言ってしまえば
「質問が間違っている」ということになります。
なぜなら、
「生まれながらの不平等」など存在しないのですから。
それは、「嫉妬」により、「不平等」にみえるだけ
であって、「生まれる」こと自体は、
誰でも同じであり、異なることはないからです。
「どの両親のもとで生まれるのか」は、
不平等なことではなく、平等なる選択の結果でしか
ないということです。
つまり、「生まれながらの不平等などない」というのが
答えです。
つまり、質問自体が意味のないものであるということです。
では、なぜ、こんな間違った質問が出てくるのでしょう。
それは、「不平等」とは何か、ということについて
「認識」が間違っているからということになります。

では、「不平等」とは何でしょうか。
「不平等」=「平等でないこと。」となります。
類似な言葉に、「不公平」という言葉があります。
もしかしたら、同じ問を、不公平だという言葉で
言う人もいることでしょう。
「不公平」=「公平でないこと。」となります。
では、「平等」「公平」とは、何でしょうか。
辞書で調べると、

「平等」
ー>物事のあり方が真理の立場から見ればすべて同一であること。
ー>かたよりや差別がなく、みな等しいこと。また、そのさま。
ー>人間は,人種,信条,性別,門地・社会的身分などの違いにかかわりなく,
 個人相互の間において,人間としての価値に差異はないという思想。
「公平」
ー>すべてのものを同じように扱うこと。
ー>判断や処理などが、かたよっていないこと。また、そのさま。
ー>判断・行動に当たり、いずれにもかたよらず、えこひいきしないこと。
ー>公平は、公に平らなこと、すなわち一定の集団において、
 偏らないということである。
 人間には、「先に手を出したもの勝ち」とか、
 偏り、えこひいき、仲間外れなどがつきものである。
 公平とは、義務履行の結果として、平らに報じるとの概念である。

といった感じとなります。
この言葉は、任意の条件下ではじめて意味を持つものであると
いうことになります。
つまり、何かの基準があって、はじめて意味がある言葉ということです。
したがって、条件が明確になっていない場合には、
解釈が異なるものになり、無意味なものとなるわけです。
生まれながらの不平等、生まれながらの不公平というのは、
生まれながらというものが、一定の条件、共通の前提が
存在しれいるのであれば意味を持ちますが、
そうではないので、意味がありません。
では、質問者は何をもって、質問しているのかといえば
生まれることではなく、生まれたあとのこと、
生まれた環境と、生まれたあとの個体の能力について
いっていることが多いです。
つまり、生まれながらではなく、
生まれたあとのある環境において、その環境の違いや
生まれたあとの条件の違いを無視して、
不平等であるとか、不公平であると言っているわけです。
それは、すでに一定の集団とは言えないものであるのに、
また、一定の条件も存在しないものであるのに、
同じでるべきだという願望と欲望があるという上での
質問であるということになるわけです。
つまり、もともと異なるものを、同じ尺度でみていることに
なるということです。
なぜ、そんな質問が出てくるのは、
それは、「無知」であるがゆえということかもいれませんし
「嫉妬」というような感情のゆえということかもしれません。

人は、その存在の価値については、平等です。
お釈迦様の言葉「天上天下唯我独尊」とは、
人の価値について、語られた真理の言葉です。
どの人も、この天宙において、唯一無二の存在であり
それゆえに尊ばれるものであるということなのです。
存在については、すべてにおいて、平等であるわけです。

「生まれながらの不平等」とは、
どんなことを言っているのかといえば、

あなたが、一生懸命に仕事をしていました。
となりで、何の仕事もせずに遊んでいる人がいました。
同じ時間、それぞれに過ごしたあとで、
報酬を貰えることになりました。
報酬は、それぞれに同じ金額でした。

ということがあって当然だということを
主張していることになります。
これが当たり前のことなら
「生まれながらの不平等」はあるといえるかもしれません。
しかし、これは当たり前ではないでしょう。
報酬は異なるものになることの方が当たり前なはずです。

まさに、この例でいえば、
報酬をもらうことになった瞬間が
生まれた瞬間にあたるわけです。
報酬が違うのは、不平等でしょうか?。
報酬をもらう前の行動の違いが公正に判断されるなら
報酬が異なる方が当然であるといえるでしょう。
つまり、生まれた瞬間の差は、公正に判断された
平等な結果として、存在しているものでしかないと
言うことなのです。
これが「本当のこと」=「真理」なわけです。

つまり、生まれてくる環境の違いや
生まれたときの個体の違いは、
平等で公平な結果でしかないということが、
真理であり、本当のことなわけです。

そして、この世における霊性修行のために
もっとも適した必要な条件の揃った環境、個体に
生まれてきているのです。

この事実は、人によっては「不都合な真実」に
なってしまうのかもしれません。
「理解したくない」ものであるかもしれません。
しかし、「真理」は変わることはないでしょう。

結局のところ、「真理」を受け入れるか否か、
「本当のこと」を受け入れるか否か、
それは、個々の人が、自分自身で決めることでしかありまん。
それ以上でもそれ以下でもないのです。
posted by 禁酒・禁煙・ベジタリアンのITコーディネータ 松原広幸 at 18:14| 静岡 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。