2019年05月30日

戒めと裁きと

戒めと裁きと

「神と共に 第一章:罪と罰」という韓国映画が
上映されていました。
韓国は、キリスト教国なので、キリスト教的な内容かなと思ったら
仏教の地獄の教えに基づいたお話でした。
七つの地獄の番人に生前の行いの裁きを受けて
全て無罪になったら、生まれ変わることができるという話で
有罪になったら、その地獄で苦しむことになるというものでした。
死後、神の前に出て自分の生前の行いについて裁きを受けるのは
キリスト教でも同じ教えであったりします。
キリスト教では、天国へ入れるか、地獄に落ちるかという
二者択一に簡略化された教えになってます。
まだ、幼い一神教においては、それでも充分であるということで
あるともいえるでしょう。
死後、どこに行くのかについては、
複数の行き先があります。
天国と地獄だけではなく、人として転生、動物として転生、
スピリチュアルとして地上になどなど、
もちろん、どこにいけるのかは、裁きを受けた結果次第であり
死んだときのカルマと徳分の状況によるということになります。
また、霊性の成長レベルによっても変わってきます。
地獄に行かないためには、どうすればよいのか、
それは、神の戒めを守って生きていることが
まず大切になってくるわけです。
神様を信じることは、当然のことですので
信じない人は残念ながら、地獄行きでしょう。
神の戒めには、いくつかのものがあります。
一神教の共通の聖典である聖書の中で語られている
代表的なものが、聖書の十戒です。

聖書の十戒

聖書出エジプト記
20:2 「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。
20:3 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
20:4 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、
どんな形をも造ってはならない。
20:7 あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。
20:8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
20:12 あなたの父と母を敬え。
あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。
20:13 殺してはならない。
20:14 姦淫してはならない。
20:15 盗んではならない。
20:16 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
20:17 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。
すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、
すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」

正教会・聖公会・プロテスタント(ルーテル教会以外)の場合
1.主が唯一の神であること
2.偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
3.神の名をみだりに唱えてはならないこと
4.安息日を守ること
5.父母を敬うこと
6.殺人をしてはいけないこと(汝、殺す勿れ)
7.姦淫をしてはいけないこと
8.盗んではいけないこと
9.隣人について偽証してはいけないこと
10.隣人の財産をむさぼってはいけないこと

カトリック教会・ルーテル教会の場合
わたしはあなたの主なる神である。
1.わたしのほかに神があってはならない。
2.あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
3.主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
4.あなたの父母を敬え。
5.殺してはならない。
6.姦淫してはならない。
7.盗んではならない。
8.隣人に関して偽証してはならない。
9.隣人の妻を欲してはならない。
10.隣人の財産を欲してはならない。

一神教であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教の
共通する聖典が旧約聖書です。
その中にあるのが十戒です。
神への信仰の初歩として、守って欲しいという内容であると
いえるのではないでしょうか。
まず、神を信じること、信じて疑わないこと、
信じた神から与えられた戒めを守ること、
それが、基本ということになるわけです。
最初の方は、神を信じることに関する戒となっています。
神を信じることが当たり前であれば必要のないものとも
いえるでしょう。

もっともベースとなるべき
五戒の内容も、一部きちんと含まれています。
五戒(五つの道徳)は以下の通りです。
1、生き物を殺さない。命を大切にする。
2、盗みをしない。人に迷惑をかけない。
3、浮気をしない。不道徳な性行為を行わない。
4、嘘をつかない。正直である。
5、お酒を飲まない。精神を乱すものを体に取り入れない。
4つまでは十戒の中に含まれているといえるでしょう。
ヒンドゥー、仏教の多神教の教えにも含まれるものは
世界に普遍なものであり、もっとも基礎的な神の叡智であると
いえるのではないでしょうか。
五戒は、お釈迦様が御生れになる10万年前に
示されているものです。まさに、基本中の基本といえる
守るべき戒めであるといえるでしょう。
ただし、戒は、守るレベルや深さも様々であったりします。

仏教では、神、仏の世界を信じることは当然なことであるので
そこに関する戒よりも、自身の魂の成長のために
必要なことを、十戒としています。
身業、口業、意業と、行動、言葉、精神の行いについて
それぞれ、戒めるべきことが示されています。
五戒を守った上で、その内容についてもっと深く
戒めるべきことの本質を教えてくれているものだと
いえるでしょう。

十善戒

不殺生 故意に生き物を殺さない。
不偸盗 与えられていないものを自分のものとしない。
不邪淫 不倫など道徳に外れた関係を持たない。
不妄語 嘘をつかない。
不綺語 中身の無い言葉を話さない。
不悪口 乱暴な言葉を使わない。
不両舌 他人を仲違いさせるようなことを言わない。
不慳貪 激しい欲をいだかない。
不瞋恚 激しい怒りをいだかない。
不邪見 (因果の道理を無視した)誤った見解を持たない。

生まれた環境は、その人の前世の徳分やカルマによって
定められます。カルマ解消にもっとも良い環境と、
徳分が積みやすい環境とは、
その魂の歩みによって変わるということです。
カルマを積むことになってしまう環境に生まれるということは
徳分が足りなかったり、カルマ解消すべきことが多かったりと
その魂の成長のために、与えられるべくして与えられた環境と
いうことでもあったりします。
余り良くない環境であれば、その環境を大きく打破することが
出来れば、魂は成長することが出来るでしょう。

輪廻転生のすべては、魂のなかに刻まれています。
その魂のアカシックレコードに、カルマについて記録されて
いるということです。
しかし、その内容は、見えないようにされることが多いです。
地獄に落ちるとき、転生するとき、
過去を知ることが出来ないように封印されます。
つまり、因果の流れの中の今の状況の原因を知ることなく
歩み始めることになるわけです。
その状況で、結果である今の状態から、自らの因果の元を
理解し、それを悔い改めることが出来るのかが
問われているということでもあります。
どんなことについても、感謝することが出来る心と
なることが出来るのか、それが問われているわけです。
人は、原因がわかっていたり、理由がわかっていれば
納得しやすいものです。
でも、原因や理由がわかっていなくても、
納得できること、その心情が成長においては必要であると
いうことなのです。
それは、とても難しいことであったりします。
多くの人が、自分は何も悪くないのにっと思うことが普通でしょう。
自分が選んだわけでもないのに、とか、
自分がやったわけでもないのに、とか、
自分が望んだわけでもないのに、とか、
自分以外に原因や理由を求めがちなのです。
自分自身に起こることは、すべて、因果応報の結果であり
自身のカルマであり自身の縁であり自身の因果であると
いうことを、認めるのが難しかったりするのです。
でも、それを認めることが、魂の成長のためには
必要とされています。
そして、そのことに向き合うのは、
生きている今であるべきだということなのです。
死後の世界は、成長が難しくなるのです。
また、裁きの場に立ってから真実を提示されてからなら
誰でも認識させられてしまうものなので、
成長には結びつかないのです。
短い現世における人生が、いかに凄い価値のあるものであり
魂の成長や、カルマの解消や、徳分を積むのに
恵まれた世界であるのかということを、しっかりと認識することが
求められるのだともいえるでしょう。
そして、知り、学び、行動することが必要となります。
いろんな壁や困難があるでしょう。
それを、乗り越えていけるか否かは、本人の心しだいということです。
そう思うと、自分自身の弱さと脆さとを痛感させられます。
posted by 禁酒・禁煙・ベジタリアンのITコーディネータ 松原広幸 at 01:21| 静岡 ☀| Comment(0) | コラム:神の叡智から学ぶ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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