2019年06月06日

お釈迦様の教えと、様々な教え

お釈迦様の教えと、様々な教え

 世の中には、いろんな教えがあります。
学校で教わる教え、両親から教わる教え、書物や経験から学ぶもの
宗教、哲学、科学、人文経済、法律、教えは多様であり
多彩です。
歴史や文化、偉人や賢人からの学びもあるでしょう。
では、この世の中の最高の教えとは何なのでしょうか。
それは、やはり神の叡智であり、聖霊の叡智であるでしょう。
そして、それらの中の最高峰がダルマであるわけです。
なぜなら、神も学びたいと願う教えが、ダルマであるからです。
 ダルマは、お釈迦様が残されて、今の世には存在しています。
今のこの世は、ダルマの存在するという恵まれた状況にあると
いえるわけです。
宇宙の歴史、地球の歴史の中では、ダルマが地上に存在しない
そんな期間が大半であるわけですから、
ダルマに触れることが可能な時に、地上のこの身があるということは
最高にラッキーであるといえるでしょう。
しかし、そんな最高な縁も、その縁を活用しなければ何の価値もありません。
では、ダルマの教えとは、どの様なものなのでしょう。
そして、他の教えとの違いは、何なのでしょう。

 この世にある教えは、大別すると、
この世についての事象に関する教えと、
この世以外についての事象に関わる教えという
2つに分かれているといえるでしょう。
この世についての事象に関する教えとは、
自然科学であり、人文科学であり、歴史文化経済社会に関するもの
ということになります。
この世での生き方はマナーや哲学として語られてきています。
学校や会社、地域社会で学ぶことの大半は、
これらのものであるといえるでしょう。
それでは、もう片方のこの世以外についての事象に関わる教えとは
何でしょうか。
それは、スピリチュアル的な教えであり、神様に関する教えとなります。
信仰や宗教が、それを中心的に担ってきているといえるでしょう。
この世についての事象に関するものは、
この世以外のものに関わる学びよりも狭い世界のものといえます。
したがって、限定的な世界におけるものでしかありません。
自然科学で説明できない事象や現象が数多く存在しているのは
自然科学という学問が、限定された世界の中でしか通用しないもので
あるからだともいえるでしょう。
それは、人文科学や政治経済などについても同様です。
では、この世以外の世界に関わる教えとは、どんなものでしょうか
神の叡智、聖霊の叡智といわれるものは、
信仰と宗教によって、伝えられてきているものであったりします。
シャーマニズム、一神教、多神教、様々なものがあります。
それぞれが、担うべき役割があって存在しているものでもあります。

スピリチュアル的な世界は、この世に近い存在でもあります。
したがって、その教えも、この世に近いものであるといえます。
一神教は、神々の中の御一方が齎した教えです。
ひとつのことから学ぶべき段階にある魂にとっては、
それを正しく導くために必要な教えであるといえるでしょう。
多神教は、神々の世界に関わる教えを伝えています。
そして、そんな教えの中で、もっとも深く重い教えが、
ダルマであるわけです。
なぜなら、ダルマは、神々が学びたいと願う教えであるからです。
この地上だけでなく神々の世界を含めた天宙の構造を示し、
それらの世界が、なぜ存在しているのか、存在の理由を示し、
そして、どの世界に行くのには、どのような条件を満たす必要が
あるのかを示し、人が、最高峰の世界へと行くためには
どうすれば良いのかを示してくれているものとなっています。

ダルマを説くことの出来るレベルの方は、
アラハンとなられるレベルの方だといえます。
ダルマを語られるのはプラプッタジャウです。
もっとも最近にこの世に現れたプラプッタジャウは
お釈迦様です。
したがって、お釈迦様の語られたダルマこそが
この天宙で最高の叡智であるといえます。
創造神も学びたいと願う叡智がそこにはあります。
もっとも正しいダルマは、お釈迦様から直接お聞きするものです。
しかし、お釈迦様から直接聞くことは今は出来ません。
お釈迦様の弟子のアラハンとなられた方から聞くことも
普通の人には出来ません。
だから、グルとなる方との出会いが大切となります。
お釈迦様の教えを正しく学ばれた方からダルマを学ぶことが
もっともよい方法であるといえるでしょう。
「お釈迦様の教えなら仏教でしょう、仏教の経典を読めばよいのでは」
そう考える方がいらっしゃるかもしれません。
しかしながら、残されている経典は、お釈迦様が書かれたものでは
ありません。アラハンとなった方が書かれたものもほぼありません。
弟子の弟子、かなり時間が経過したあとで、書き残されたものが
大半であるといってよいでしょう。
そのために、お釈迦様の教え、そのものではなくなっていることが
多いです。アラハンとなったようなレベルの方の残されたものであれば
信用できるといえるでしょうが、そうでない場合には、
お釈迦様の教えに、著者やその先生の教えが混ざったものに
なってしまっています。
そのために、重要なポイントが暈されていたり、
この世的に楽になるような解釈が追加されてしまっていたり
本質がぼけてしまっていたりすることが多かったりします。
特に、一般大衆向けに改ざんされた大乗仏教においては
多くの異なる教えが混じってしまっていて、
お釈迦様の教えが薄められてしまっています。
もちろん、正しい部分もあります。
しかし、どこが正しく、どこが重要であるのかは、
ダルマの本質とは何かについて知ることなしに
判断するのは難しいといえるでしょう。
ダルマを学び、その内容をアラハンレベルの方から
直接確認できるレベルのあるような方から、
ダルマについて知ることが大切になってくるといえるでしょう。
仏教とは、お釈迦様の教えというよりも
お釈迦様の弟子たちの一門の中でまとめられた教えというべきでしょう。
大乗仏教では、本来の教えが薄められてしまいました。
お釈迦様は、誰でもアラハンとなれる道をしめされました。
既に、出家しなくてもアラハンとなるために必要なことは示されていたわけで
大乗仏教の生まれた理由は、お釈迦様の教えとは無関係であることに
なっています。つまり、ダルマをきちんと理解出来ていなかった方が
一般大衆へと広めるという誤った目的のためにつくったものであると
いえるのかもしれません。
お釈迦様の教えは、どんな人にでも適応されるものです。
しかし、そのための道は、それぞれの人によって
大きくことなるものでもあります。
なぜなら、人によって、カルマも徳分も異なっているからです。
より確実に歩むのであれば出家することが良いというだけなのです。
実際に、出家してなかった方でも、アラハンとなった方は
いらっしゃいます。
出家とは、目的ではなく手段のひとつであるということです。
では、人生の目的とは何なのか、
それは、アラハンとなり、解脱して、苦の輪廻から外れること
であるといえるわけです。
これは、神々の願いでもあったりするわけです。

お釈迦様の教えとして、
日本にて、仏教の教えとして出てくるキーワードがあります。
「中道」、「四苦八苦」、「縁起」、「四諦」、「八正道」、
「六波羅蜜」、「五戒」、「十善戒」
など、それぞれが、ダルマの一部を語っているものではあります。
しかし、どうも哲学的な解説がされていることが多く
ダルマの根本に立ち寄った形で、説明されているのか
疑問の残るものが多かったりもします。
ダルマの教えは、非常にシンプルであり、
また具体的であり、実践的なものとなっています。
お釈迦様が、アラハンへと至るために、何をすべきなのか
きちんとお教えになっているからです。
ところが、現代仏教の中で、語られているお釈迦様の教えの
多くが、学術的哲学的な表現となっていて、
しかも、それを読んで、どうすれば良いのかという部分について
すなわち、実践の部分について、抽象的な表現で終わっています。
それは、対機説法による内容を編纂したが故の結果なのかもしれません。
お釈迦様は、弟子たちに、対機説法をもって、
その弟子、個人にとって必要な内容を必要な形でわかりやすく
教えていらっしゃいました。
つまり、その瞬間の教えは、教えの対象となる人、または人々にとって
必要でありわかり易いかたちにて、語られていたということです。
つまり、ダルマそのものを、知るべき人が知りえるように
教えられていたということになります。
その部分を認識した上で、教えの内容を読み解かないと、
誤った解釈をしてしまう可能性があるということでもあります。
これは、お釈迦様だけでなく、イエス様や孔子、ソクラテスといった
叡智を語った方々の会話を記録したものから変遷された書物に
おいても同様なことがいえるでしょう。

実は、どうでも良いことが、なんだか重要なことであるかのように
記述されていたりするわけです。
また、非常に重要なことなのに、軽い感じで記述されてしまっている
そんなケースもあったりします。
たとえば、神と仏の違いですが、語る意味はありません。
神も仏も、天上界の中に存在している方々でしかありません。
その階層にいらっしゃるのかは、その魂のレベルの差でしかないわけです。
ダルマでは、その部分についても、叡智を含んでいます。
お釈迦様の教えは、創造神と呼ばれる方々も学びたいものであると
いうことを知れば、どのような関係性にあるのかは明白です。
どのような神であっても、尊敬の念をもって接することが大切です。
否定したり卑下することなどはもってのほかであるといえるでしょう。
場合によってはカルマとなってしまうからです。

人生を過ごすのであれば、カルマをつくらないようにして
徳分を増やすように行動することが重要であるということになります。
その上で、霊性を高めるために瞑想を行いマントラを唱えるという
ことになるわけです。
ダルマでは、アラハンへ至る道が示されています。
しかし、その道の困難さについては、
ひとりひとり異なるものとなっています。
誰もが輪廻の輪から脱することが出来るのですが、
そのためには自分自身が行動するしかありません。
お釈迦様が救ってくれるわけではないということです。
自分自身を救えないのに、他人を救えると思うのは、
傲慢であるといえるでしょう。
この世的な徳=人徳=タンタンにおいては、
他人を救うことは立派なことですし良いことです。
しかし、天宙的な徳=徳分=タンブンとはならないことも
あるということであったりするわけです。
どうすれば、カルマを増やさずにすむのか、
どうすれば、徳分を積むことができるのか、
ダルマは、教えてくれています。
そして、その部分の叡智こそが、重要であったりするわけです。

素晴らしい教えは、数々存在しています。
しかし、最上級の教えは、お釈迦様が残されたダルマです。
そこに至ることが出来る縁をもっていることが
いかに幸せなことであるのかを、忘れてはならないでしょう。
そして、幸せとは、自分自身の決めることでしかありません。
どんな環境であっても、幸せなら幸せだし、不幸なら不幸にしか
ならないということです。
ただ、この苦の満ちた輪廻の世界から、脱することは出来ます。
その方法を教えてくれるのが、ダルマであるということです。
苦から脱することを、望むか否かは、
それぞれ、ひとりひとりの魂が決めることでしかありません。
あなたは、どんな選択をするのでしょうか?。
posted by 禁酒・禁煙・ベジタリアンのITコーディネータ 松原広幸 at 07:32| 静岡 ☀| Comment(0) | コラム:神の叡智から学ぶ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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