2019年06月08日

一神教と信仰と今世での意味・・・・

一神教と言われる宗教は、世界の大きなエリアを占めています。
しかし、その教えの源泉は、同じものであったりもしています。
一神教といえば、
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つであると
言って良いでしょう。
共通の聖典として、聖書があります。
もっとも古いユダヤ教から、
もっとも新しいイスラム教まで、
一神教は、ナイル、チグリスユーフラテスの大河文化圏を
中心にして、広がっていったものであるといえるでしょう。
もともと、そこにあった多神教の中から出てきたものでもあります。
神話として伝承の残る信仰は、基本的に多神教です。
神々と人々との関係、神々のお話などが神話となっているからです。
一神教は、天地創造から始まります。
一神教の神は、創造神であるということです。
ユダヤ教において、聖書は最初に編纂されます。

紀元前4世紀までに書かれたヘブライ語およびアラム語の文書群で
全24巻から成り立ち、
律法(トーラー : Torah)、
預言者(ネビイーム : Nevi'im)、
諸書(ケトゥビーム : Ketuvim)
に分類されていて、
タナハ (Tanakh ヘブル語)と呼ばれているものです。
律法(モーセ五書)を中心にして、
預言書(神からの啓示である預言の記述)、
歴史書、諸書(詩、知恵文学)などから構成されています。
キリスト教においては、旧約聖書として位置付けられています。
現存する最古の写本は紀元前1世紀頃書かれたとされる死海写本にあり、
紀元前4世紀頃からギリシア語訳が作られるようになっています。
(アレクサンドリアで編纂された七十人訳聖書など)
キリスト教では、旧約聖書に、イエスキリストの言葉や奇蹟を
弟子たちがキリストの死後書いたものを編纂して、新約聖書としています。
「約」とは、神との契約のことで、2世紀頃からキリスト教徒の間で
呼ばれ始めたものです。
新約聖書は、紀元1世紀から2世紀にかけてキリスト教徒たちによって
書かれたものであり、
福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)、
言行録、使徒言行録、書簡(パウロ書簡・公同書簡)、
黙示録、外典、から構成されています。
アラム語(または、ヘブライ語る)と、
「コイネー」と呼ばれる1世紀のローマ帝国内で
公用的に使用されていた口語的なギリシア語で書かれて、
早い時期にラテン語、シリア語、コプト語などに翻訳されています。
英訳版としては、1611年に出版された
キング・ジェームス・バイブルがもっともよく知られています。
聖書は、イスラム教においても、アラビヤ語に翻訳されて
モーゼ五書「タウラー」、詩篇「ザブール」、
福音書「インジール」と呼ばれ、教典として
クルアーンに準じるものとして扱われています。
イスラム教では、西暦610年頃にムハマドのところに、
大天使ジブリール(ガブリエル)が現れて、
与えら得れた啓示の内容が口伝で伝えられ、
初代から3代の正統カリフのもとで編纂され正典化されています。
その後に、キリスト教、イスラム教は、分派していきます。
その様な中で、新たに聖典として編纂されたものもあります。
それぞれに、聖なるものであることは当然ですが、
基本となる本流の聖典は、聖書とクルアーンであると
いえるでしょう。

一神教系の教えの中には、聖霊の叡智と呼ばれるものがあります。
モーセ、ダビデ、ソロモンが使った奇跡と呼ばれた力に関するものです。
一神教は、この世における幸せについて求めるものが中心となっています。
理想の国は、あくまでもこの世の国です。
天上の天国と同じものを地上にという欲求に留まっているともいえます。
したがって、この世的な幸福を求めるために必要な教えが
多く語られています。また秘法として伝えたれているノウハウも
この世において役に立つものが多かったりします。
まず神を信じ、この世ではない天上世界があることを信じること
そして、幸せになるためにどうすれば良いのかについて
この世のレベルでの視野から、まずは学んでいくという感じの教えと
いってよいのではないでしょうか。
しかし、それゆえに、悪魔やバッドスピリッツの影響も受けやすく
同じ神を信じるはずのもの同士が争うという歴史を繰り返すことに
なってしまっています。
この世界を平和に、より生きやすく、安心していられるものとするために
為すべきことは何なのかを、伝える信仰であるともいえるでしょう。
憎しみをこえ、兄弟姉妹の絆を再認識するために、
同じ神のもとで、争いを無くしていくという目的を為すために
存在しているのだともいえるでしょう。
創造神がもっとも上の教えであることから、
神の叡智としては、教えられていないことも数多く存在しています。
創造神が学びたいと願う教えが、伝えられていないのは、
仕方のないことだといえるでしょう。
しかし、神を信じない、この世以外の世界があることを信じない、
そういったレベルの人々、唯物主義や共産主義といったレベルより
上のレベルであることも間違いありません。

病気などの原因のひとつに、悪魔やバッドスピリッツ、
バッドエナジーによるものがあります。
それらを取り除くことは、とても大事なことです。
そのための叡智が、聖霊の叡智として伝えられています。
オラシオン、シール、などがそうです。
その叡智を使いこなすのがエクソシストであり、
心霊手術などを行なうヒーラーであるわけです。

さて、天上世界は、創造神の皆さんだけがいらっしゃるわけではありません。
しかし、複数の神々の存在を信じることよりも、
唯一神を信じることの方が、霊性レベルは高い必要がありません。
魂の成長のレベルによって、カルマや徳分の状態によって、
唯一神すら信じることが出来ない人々もいれば、
唯一神なら信じることが出来る人々もいるということなのです。
では、神々を信じることが出来るのであれば、
この世の存在理由と、人がなぜこの世界に生まれたのか、
そして、死後、どうなるのか、その部分について、より深く
啓示され、叡智が存在しているものに接したときに
信じられる人と信じられない人がいるのも当然のことであるわけです。
それは、悪いことでもなければ、非難すべきことでもありません。
ただ、今世における定めとして、そうなっているだけということです。

黒人の世界が自然信仰中心であり、
白人の世界が一神教中心であり、
アジアでは多神教が中心であるのも、
それなりの理由があるからだといえるでしょう。
その事について、一神教は触れられてはいません。
民族部族という単位で語られる内容が中心だからともいえます。
一神教も、アジアへと流れるなかで、
より多神教の教えに近づいていっています。
また、一神教から多神教の中に叡智に触れるチャンスも
多くなっていっています。
より深い叡智に触れることが出来る縁が、
強くなっていくからだともいえるでしょう。

宗教の役割は、まず、この世が、現世のみではないこと
神様の世界、死後の世界が存在していること
スピリチュアルな存在が実存していることを
知らしめることにあるといえます。
その上で、この世における人生をどう生きるのが
善い生き方になるのか、あの世にいったときに後悔せずに
すむのかといったことを伝えているといえるでしょう。
この世の叡智では説明できない事象や現象について
聖霊の叡智や神の叡智を通して説明したりもしています。
それぞれの段階に応じた叡智が与えられていると
いえるでしょう。
そして、もっとも深い叡智が、
プラプッタジャウによるダルマであるわけです。

どの宗教が悪いとか良いとかなどはなく、
どの宗教が駄目だとか優れているとかでもありません。
それぞれの宗教、信仰は尊ばれるべきであり
敬意をもって接するべきものであるといえます。
それぞれの宗教や信仰には、それぞれに役割があり
導くべきレベルの魂が存在しているのです。
もちろん、より深い叡智に出会えて、
それを学ぶ事ができれば素敵ですし、
解脱への悟りを得ることも出来るでしょう。
それゆえ、縁を大事にして、チャンスを逃さないように
することが大切ということにもなってきます。

信仰を持つことは、人生をより深く意義あるものにするための
第一歩であるといえるでしょう。
信仰を持てない人は可哀想です。
カルマを増やし、徳分を減らすだけの人生に
なってしまったら、来世は悲惨なことになってしまうのですから。
そして、どんな信仰であっても、敬意をもって接するべきでしょう。
敬意をもたず卑下したり馬鹿にしたりするのは
カルマにしかなりません。

そして、出来うるなら、ダルマの教えを学び、
輪廻の輪から抜け出して、苦の世界から脱することが
出来る道を歩めることがもっとも恵まれた道であると
いえるでしょう。
posted by 禁酒・禁煙・ベジタリアンのITコーディネータ 松原広幸 at 07:41| 静岡 ☀| Comment(0) | コラム:神の叡智から学ぶ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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